漢族系三善氏
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『類聚符宣抄』によれば、元は漢の東海王の末裔であった波能志(はのし)の子孫で錦部村首、後に錦宿禰を名乗った。貞元2年(977年)頃に三善朝臣の姓が授けられ、その1人であった三善茂明が主税頭兼算博士に就任し、その子孫は代々算博士を継いだ。茂明の孫の三善為長は、越中国出身の門人射水為康を養子に迎えた。三善為康は算道・紀伝道に通じた学者として多くの著作を残している。その子孫である三善長衡以後、代々西園寺家家司を務めた。地下官人の今小路家はその子孫とされる。 また、鎌倉幕府の初代問注所執事となった三善康信もこの一族とされ、子孫として町野氏・太田氏・飯尾氏・布施氏らが挙げられる。彼らは鎌倉幕府引付衆あるいは室町幕府奉行衆として活躍した。
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