デロレン祭文
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 16:16 UTC 版)
デロレン祭文(デロレンさいもん、デロレンざいもん)とは、門付芸・大道芸のひとつで法螺貝を吹きながら説経祭文を語る芸能、およびその芸人。「貝祭文(かいさいもん)」ともいう。
注釈
- ^ 明治期の新聞の演芸記事を集成した倉田喜弘『明治の演芸』全8巻には、頻繁に祭文語りが登場する。
- ^ 浪花節の寄席芸全盛期の各人物伝は、本人・師匠・親に祭文語りが多い。
- ^ 明治40年発行の東京市役所『東京案内』に祭文の席として唯一、下谷・竹町に佐竹亭の存在が確認できる。
- ^ 語りことばに方言を使用しない現象は、浪曲や講談などにおいてもあてはまる。兵藤(1997)p.4
- ^ 1932年(昭和7年)に実施された「全国ラジオ調査」では、ラジオ聴取者の好む番組の第一位は浪曲で、全体の57パーセントを占めていた。兵藤(1997)p.1
- ^ 三重県や鳥取県における調査でも、デロレン祭文が関東から伝わったという伝承・文献のあることが確かめられている。兵藤(1997)p.3
- ^ 兵藤裕己は、江州音頭を「デロレン祭文の盆踊りヴァージョン」と表現している。兵藤(1997)p.3
出典
- ^ a b c d e f 郡司(1953)pp.208-209
- ^ a b 松島(1979)p.635
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 兵藤裕己. “オーラル・ナラティブの近代” (PDF). 2014年3月13日閲覧。(成城大学)
- ^ 河野桐谷『史話 江戸は過ぎる』には、「江戸見物の話」として下総香取郡から常陸江戸崎のそば屋で修業し、明治2年に江戸見物に来た人物が、浅草寺観音堂の周りで「デロレン左衛門とか、猿芝居とか、スットコ踊りとか」を見た話が出てくる(p.148)
- ^ 無着成恭『山びこ学校』
- ^ 近代日本芸能史年表.当日の朝日新聞ラジオ欄
- ^ 小沢昭一『日本の放浪芸』
- ^ 日本芸術文化振興会「浪曲の歴史:語る諸芸から浪花節へ」
[続きの解説]
「デロレン祭文」の続きの解説一覧
- 1 デロレン祭文とは
- 2 デロレン祭文の概要
- 3 影響
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