都名所図会とは? わかりやすく解説

都名所図会

読み方:ミヤコメイショズエ(miyakomeishozue)

分野 通俗地誌

年代 江戸後期

作者 秋里籬島


都名所図会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/03 04:17 UTC 版)

金胎寺鳥瞰図
巨椋の入り江(巨椋池)

都名所図会』(みやこめいしょずえ)は、江戸時代後期に刊行された京都に関する地誌。「都名所」と称しているものの、その記述内容は洛中洛外に限らず広く山城国全域に及んでいる。文章は秋里籬島・挿絵は竹原春朝斎。全6巻11冊。

概要

1780年(安永9年)に刊行され、好評を博したために1787年(天明7年)になって続編である『拾遺都名所図会』が出された。実地踏査に基づいて、代表的な名所だけではなく、隠れた名所や伝説・名物などについても詳細な解説を施し、更に豊富な鳥瞰図や風俗図などの挿絵が広い支持を受け、各種名所図会刊行のきっかけとなった。収録地域は、巻1から3では主として京都市中を、巻4と5では京都郊外の山城各地域(宇治八幡など)を取り上げている。これはこの著に先行する「京童」「京雀」などに倣ったものであった。

刊行文献

別著作の校訂版

参考文献

都名所図会 6巻、河内屋太助 - 国立国会図書館デジタルコレクション

関連文献


都名所図会(1780年成立)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/24 09:30 UTC 版)

志賀越道」の記事における「都名所図会(1780年成立)」の解説

「此里(北白川)は都より近江志賀坂本への往還道なり志賀山越といふ。…是よりひがし山中の里あり。…比叡無動寺へは、北村のはずれの細道より北に入る。山中峠白川の里より一里半にして、山城近江の堺なり。むかし、長良山桜詠みしは此峠のつづきなり」

※この「都名所図会(1780年成立)」の解説は、「志賀越道」の解説の一部です。
「都名所図会(1780年成立)」を含む「志賀越道」の記事については、「志賀越道」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「都名所図会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「都名所図会」の関連用語

都名所図会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



都名所図会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの都名所図会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの志賀越道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS