雨夜花
(雨の夜の花 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 02:36 UTC 版)
「雨夜花」 | |
---|---|
純純 の シングル | |
初出アルバム『雨夜花』 | |
リリース | |
ジャンル | 台湾語歌謡曲 |
レーベル | 台湾コロムビアレコード |
作詞・作曲 | 周添旺、鄧雨賢 |
雨夜花 | |||||||||
繁体字 | 雨夜花 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
「雨夜花」(うやか、ウーヤーホエ、台湾語白話字:Ú-iā-hoe)は、1934年に発表された台湾語歌謡曲で、後に民謡として扱われるようになった[1]。作詞は周添旺、作曲は鄧雨賢により、歌唱は純純(劉清香)。 当時年間10万枚のベストセラー曲と言われた[2]。台湾語歌謡のうち、「望春風」と並んで代表的な曲とされ、現在もなお歌い継がれている[3]。

解説
この歌はもともと詩人・廖漢臣 の童謡「春」に鄧雨賢が1933年に曲をつけたものであるが、この曲を聞いた周添旺が翌年に新しい歌詞をつけ、ヒット曲・『雨夜花』が作り上げられた。駆け落ちした恋人に振られた後、花柳界に堕ちた不幸な女性を人知れずさみしく散っていく雨の夜に咲く花にたとえて歌ったものである[4]。

1938年に台湾総督府の下で、栗原白也が作詞する軍歌『誉れの軍夫』(霧島昇歌唱)に改編された[5][6]。日本国内でも1942年に、西條八十の作詞で、渡辺はま子が唄う『雨の夜の花』に改編された。
戦後はテレサ・テン、鳳飛飛 、胡美芳、夏川りみ、一青窈などの歌手によりカバーされた。2002年11月29日に、プラシド・ドミンゴが台湾で開催するコンサートで、江蕙と一緒にこの曲を歌った[7]。
また、この曲に大矢弘子が新たに作詞した歌を、こまどり姉妹が「南国哀歌」として1965年に発表している。
脚注
- ^ 『歌唱台湾』三元社、2021年9月30日、205頁。
- ^ 論文「植民地台湾で歌われたモダンと自由恋愛」李文茹、立命館言語文化研究24巻2号77項、2013年
- ^ 『台湾の歴史的大全』藤原書店、2025年2月28日、97頁。
- ^ 論文「台湾語歌謡曲に見る近代化と文化の変質」12項、上利博規、静岡大学人文社会科学部アジア研究センター、2013
- ^ 『台湾の歴史 台湾高校歴史教科書』雄山閣、2020年2月25日、160頁。
- ^ 論文「中華圏の流行文化史を再考する」西村正男、現代中国95号54項、日本現代中国学会、2021年
- ^ “多明哥江蕙 唱雨夜花”. 中華電視公司 (2002年11月27日). 2018年3月12日閲覧。
関連項目
- 雨夜花のページへのリンク