とうじん‐おきち〔タウジン‐〕【唐人お吉】
唐人お吉
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唐人お吉(とうじんおきち)
- 幕末に実在した日本の人物 ⇒ 斎藤きち
- 1.をモデルにした1928年の十一谷義三郎の小説 ⇒ 唐人お吉 (小説)
- 2.を原作とした1930年の溝口健二監督のサイレント映画 ⇒ 唐人お吉 (小説)#1930年版
- 2.を原作とした1937年の池田富保監督の映画『唐人お吉 黒船情話』 ⇒ 唐人お吉 (小説)#1937年版
- 1.をモデルにした1930年の村松春水の小説の通称 ⇒ 実話唐人お吉
- 3.を原作とした1930年の村越章二郎監督のサイレント映画 ⇒ 実話唐人お吉#1930年版
- 3.を原作とした1931年の衣笠貞之助監督のサイレント映画 ⇒ 実話唐人お吉#1931年版
- 真山青果の戯曲 ⇒ 唐人お吉 (真山青果)、唐人お吉と攘夷群
- 川村花菱の戯曲 ⇒ 唐人お吉 (川村花菱)
- 5.を原作とした1935年の冬島泰三監督の映画 ⇒ 唐人お吉 (川村花菱)#映画
- 1954年の若杉光夫監督の映画 ⇒ 唐人お吉 (1954年の映画)
- 1958年のジョン・ヒューストン監督の映画『黒船』 ⇒ 原題はen:The Barbarian and the Geisha
関連項目
唐人お吉
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玉泉寺に駐留していたアメリカ合衆国駐日領事タウンゼント・ハリスは、長期間の船旅や遅々として進まない日本側との条約締結交渉のストレスも相まって体重が40ポンド(約18kg)も落ちてしまい、吐血するほどに体調を崩していた。満52歳と当時としては高齢でもあり、ハリスの秘書兼通訳であるヘンリー・ヒュースケンが下田奉行所に看護人の派遣を要求した。 しかし日本人女性が外国人男性と性行為をする事は恥であり汚れだとされる風潮があり、お吉は固辞したが、幕府役人の執拗な説得に折れ、生贄の様にハリスのもとへ赴くことになった。当初、人々はお吉に対して同情的だったが、次第に侮蔑の目を向けるようになる。ハリスの容態が回復した3か月後の8月、お吉は解雇され再び芸者となるが、外国人男性と性行為を行ったお吉に対する人々の冷たい対応は変わらず芸者としての人気も無くなった。この頃から彼女は酒色に耽るようになる。
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