昭和後期・平成前期とは? わかりやすく解説

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昭和後期・平成前期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:57 UTC 版)

東海道本線」の記事における「昭和後期・平成前期」の解説

1964年昭和39年10月1日東海道新幹線東京駅 - 新大阪駅間が開業当時最速列車「ひかり」は両駅間を当初4時間、翌年から3時10分で運転した。これによって東京 - 京阪神間輸送主役新幹線移ったため、在来線呼ばれるようになった東海道本線では昼行優等列車多く廃止され、代わって地域輸送主体路線変化していった。1970年代以降京阪神地区では並行他社線対抗する都市速達輸送列車として新快速新設された。同様に名古屋地区でも電車による快速列車登場している。首都圏では通勤五方面作戦一環として湘南電車横須賀線電車線路分離1980年昭和55年)に行われている。1984年昭和59年以降列車本数少なかった静岡名古屋地区でも短距離列車増発・等時隔ダイヤが行われるようになる。 1987年昭和62年4月1日行われた国鉄分割民営化によって、東海道本線旅客3社と貨物1社に経営分かれ各社地域事情合わせた輸送改善が行われるようになった通勤ラッシュ激しJR東日本首都圏地区では列車定員増加による混雑緩和他社競合するJR東海名古屋地区JR西日本京阪神地区では快速列車増発スピードアップ図られていった通勤客向けの通勤ライナー各地域相次いで登場した。さらに空港アクセス特急乗り入れ1997年平成9年)からの京阪神緩行電車JR東西線宝塚線直通運転2001年平成13年開業湘南新宿ライン など、新たな運行形態登場させている。JR貨物では貨物列車高速化が行われ、2004年平成16年)には動力分散式貨物用電車スーパーレールカーゴ”の運行開始している。

※この「昭和後期・平成前期」の解説は、「東海道本線」の解説の一部です。
「昭和後期・平成前期」を含む「東海道本線」の記事については、「東海道本線」の概要を参照ください。

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