入船亭扇海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 22:51 UTC 版)
Irifunetei Senkai |
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![]() 入船亭扇海定紋「つたの葉」 |
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本名 |
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生年月日 | 1952年3月22日 |
没年月日 | 2025年2月15日(72歳没) |
出身地 | ![]() |
死没地 | ![]() |
師匠 | 九代目入船亭扇橋 |
名跡 | 1. 入船亭扇たく (1978年 - 1981年) 2. 入船亭扇海 (1981年 - 2025年) |
出囃子 | 乗合船 |
活動期間 | 1978年 - 2025年 |
所属 | 落語協会 |
公式サイト | 勝浦らくご館 |
入船亭 扇海(いりふねてい せんかい、1952年〈昭和27年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉2月15日)は、落語家。本名∶関川 博之。落語協会会員。出囃子は『乗合船』。東京都足立区出身。
経歴
東京都立江北高等学校を卒業後ミュージシャンを志し、ベーシストとしてビッグバンドに所属。海外渡航後に落語に触れたことで落語家の道に入る。
1976年に九代目入船亭扇橋に入門。翌々年前座となる。前座名は扇たく。
1993年に古今亭菊寿、柳家喜多八、三遊亭若圓歌、三代目入船亭扇蔵、四代目柳亭市馬、柳家さん生、柳家はん治、全亭武笙、桂ひな太郎と共に真打昇進。
父親の生まれた千葉県勝浦市に移住。自宅周辺を落語とジャズの楽しめるライブハウスに改装した(自身の病気療養のため、一度転居・移転している)。また、同市にて年に数回開催される「勝浦落語会」をプロデュースしている[1][2][3]。
58歳の時、ステージ4の膵臓がんで余命半年と診断された。3度にわたる手術で膵臓、肝臓の一部、十二指腸の全部を切除しているほか、開腹手術に備え、心臓の冠動脈の手術とカテーテル治療も行っている。以降も抗がん剤や重粒子線治療なども行い、地元での落語会と並行して通院していたという[4]。
2025年2月15日0時、膵臓がんのため東京都の病院で死去した[5]。72歳没。寄席最後の出演は2007年12月9日の黒門亭(上野の落語協会事務所2階で行われる定席寄席)となった[6]。
芸歴
弟子
廃業
- 入船亭こづ海
出典
- ^ “がんと向き合う 笑いを届け続けたい”. NHK (2018年2月8日). 2020年11月13日閲覧。
- ^ 「わたしと健康 落語家 入船亭扇海さん がん術後も満身創痍 自然豊かな勝浦で再起 寄席・劇団で好奇心燃やす」『毎日新聞』2019年7月21日。2020年11月13日閲覧。
- ^ 「コロナ禍乗り越え勝浦落語会再開 入船亭扇海さん」『朝日新聞』2020年9月18日。2020年11月13日閲覧。
- ^ "58歳で「膵臓がんステージ4」「余命半年」と言われて絶望…落語家を救った「主治医からのひと言」". 現代ビジネス. 講談社. 17 February 2024. 2024年2月17日閲覧。
- ^ 「入船亭扇海さん死去」『新潟日報』2025年2月16日。2025年2月16日閲覧。
- ^ “入船亭扇海 訃報”. 落語協会 (2025年2月16日). 2025年2月16日閲覧。
外部リンク
- 入船亭扇海 - 落語協会
- 入船亭扇海 (@senkai_irifunetei) - Instagram
- 入船亭扇海 (senkai.irifunetei) - Facebook
- 入船亭扇海の勝浦らくご館情報 - Ameba Blog
- 勝浦らくご館
- 入船亭扇海のページへのリンク