林家 菊丸

芸名 | 林家 菊丸 |
芸名フリガナ | はやしや きくまる |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1974/7/16 |
星座 | かに座 |
干支 | 寅年 |
血液型 | A |
出身地 | 三重県 |
身長 | 173 cm |
体重 | 62 kg |
URL | https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=755 |
プロフィール | 1974年生まれ、三重県出身の落語家。1994年に4代目林家染丸に入門し、2014年9月に3代目林家菊丸を襲名。古典落語から新作落語まで幅広くこなす。主な出演作は、ABCラジオ『仁鶴の楽書き帖』、KBSラジオ『京都発よしもとハッピーアワーしほう八方、進入きん枝』、三重ケーブルZTV『おしえて先生』など。 |
代表作品1年 | 2017~ |
代表作品1 | ABCラジオ『仁鶴の楽書き帖』レギュラー |
代表作品2 | KBSラジオ『京都発よしもとハッピーアワーしほう八方、進入きん枝』レギュラー |
代表作品3 | 三重ケーブルZTV『おしえて先生』レギュラー |
職種 | お笑い |
趣味・特技 | ギター/オセロ/日本舞踊 |
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林家菊丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 15:49 UTC 版)
林家 菊丸(はやしや きくまる)は、上方落語の名跡。当代は三代目。
- 初代林家菊丸 - 生没年不詳。本名の苗字が「菊本」であったために「菊丸」を名乗ったとされる。初代林家正三の門下。天保14年(1843年)の見立番付には既に名が見られ、嘉永6年(1853年)および安政ころの番付では東方前頭筆頭となっており、幕末の上方林家一門における中心人物であったと推測される。二世曽呂利新左衛門は猫丸時代に、この初代林家菊丸の物まねで人気を取っていた。それを聞いた初代林家菊丸本人が面白がり、呼び寄せて共演をした。今で言う「御本人登場」である。長男は自身の門下で「二代目林家菊丸」になり、次男は林家花丸を名乗った。弟子には先述の二代目菊丸・花丸の他に、初代林家染丸、林家雛丸らがいた。
- 二代目林家菊丸 - 本項目で記述
- 三代目林家菊丸[1] - 当代。
二代目
|
|
生年月日 | 不詳年 |
---|---|
没年月日 | 不詳年 |
出身地 | ![]() |
師匠 | 初代林家菊丸 三代目林家正三 |
名跡 | 1. 初代林家小菊丸 2. 二代目林家菊丸 |
活動内容 | 上方落語 |
家族 | 初代林家菊丸(父) 林家花丸(弟) |
二代目 林家 菊丸(生没年未詳)は、上方の落語家。本名の苗字は「菊本」。
経歴
初代林家菊丸の実子。父の初代林家菊丸に入門し、初代林家小菊丸を名乗る。明治4年頃に「二代目林家菊丸」を襲名。
晩年には盲目となる。1901年前後に没したとされる。
人物
『落語系圖』には、三代目林家正三の門下にも名が記され、「滑稽に長ず」とある。初代林家菊丸の死後、三代目林家正三の門下に移った可能性もある。
なお、弟は「菊造」、「二代目林家小菊丸」を経て、「林家花丸」を名乗る。
二人の落語家に噺をさせ、その間違いや欠点を客に意見させて勝負を競う余興である「落語相撲」の行司や、「落語裁判」の弁護士が非常に巧かったと伝わる。
芸風
多くの新作も物にし、現在もしばしば演じられる『猿廻し(堀川)』『不動坊』『後家馬子』『[[吉野狐]』などは、この二代目林家菊丸の作と言われる。いずれも当時の裏長屋の生活と、そこに暮らす人々の哀歓を巧みに描いた異色作である。
出典
脚注
- ^ 林家染弥さん:「菊丸」襲名披露公演 115年ぶり復活 毎日新聞 2014年9月27日閲覧
固有名詞の分類
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