林家 花丸
林家花丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 15:29 UTC 版)
林家 花丸(はやしや はなまる)は、上方落語の名跡。当代は特に代数を名乗っていないが、過去には2、3名の存在が確認できる。他に「花丸」の名跡では桂花丸がある。
2代目
二代目
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本名 | 菊本 友吉 |
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生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 不詳年 |
師匠 | 初代林家菊丸 |
名跡 | 1.林家菊造 2.二代目林家小菊丸 3. 林家花丸 |
家族 | 初代林家菊丸(父) 二代目林家菊丸(兄) |
二代目 林家 花丸(生没年不詳)は、落語家。本名は菊本 友吉。
経歴
初代林家菊丸の門下でその実子。二代目林家菊丸の弟。落語家になる前は伊勢で料理屋をしていたと伝わる。
「林家菊造」、「二代目林家小菊丸」を経て、「花丸」を名乗る。明治30年代末に没した模様。
明治20年代から30年代にかけて林家一門の中心人物で大活躍をした大看板だった。同世代の肩を並べた噺家には後の七代目桂文治、三代目桂文枝、三代目桂文三等がいる。
芸風
得意ネタは「滑稽改良噺」。人情噺を秀で「乳貰い」を得意とした。
3代目
三代目
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本名 | 島 洋一 |
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生年月日 | 1934年9月21日(90歳) |
師匠 | 三代目林家染丸 六代目笑福亭松鶴 |
名跡 | 1.林家染太楼 (1957年 - ?) 2.林家花丸 (不詳) 3.笑福亭花丸 (? - 1973年) |
活動期間 | 1957年 - 1973年 |
家族 | 林家うさぎ |
笑福亭 花丸(1934年9月21日 - )は、落語家。本名:島 洋一。
尼崎工業高校卒業後、サラリーマンとして勤める。
1957年、三代目林家染丸に入門し、「染太楼」から「花丸」となる。後に四代目笑福亭枝鶴の門下に移り、亭号を改め「笑福亭花丸」を名乗る。笑福亭仁鶴は弟弟子。初舞台は1959年の千日劇場。KBSラジオの「KBSワイドスコープ」のパーソナリティーも務めた。1973年3月に廃業。
その後は名古屋で芸能マネージャーをしていた。
芸風
得意ネタのひとつだった「相撲場風景」は六代目笑福亭松鶴にそっくりだと言われた。二代目林家染丸門下の林家うさぎ(島 光明)は実父。
当代
当代
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本名 | 船引 厚志 |
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生年月日 | 1965年3月6日(60歳) |
出生地 | ![]() |
師匠 | 四代目林家染丸 |
出囃子 | ダーク |
活動期間 | 1991年 - |
活動内容 | 上方落語 |
所属 | よしもとクリエイティブ・エージェンシー |
受賞歴 | |
1998年 なにわ芸術祭 最優秀新人賞 1999年 大阪府知事賞受賞 大阪市長賞受賞 |
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備考 | |
上方落語協会会員 | |
林家 花丸(1965年3月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身。本名: 船引 厚志。出囃子は「ダーク」。
経歴
桃山学院大学社会学部卒業。
1991年11月、四代目林家染丸に入門し、「花丸」を名乗る。
芸風
林家染丸一門の師匠筋の二代目林家染丸の十八番だった『電話の散財』を受け継ぎ、しばしば高座に掛けている。
人物
年に40回は宝塚歌劇を鑑賞するほどの宝塚ファンとしても知られる[1]。「天橋 満(あまはし みちる)」を名乗り宝塚ファンの落語家が歌劇を公演する「花詩歌(はなしか)タカラヅカ」立ち上げメンバーかつトップスターでもあったが、2017年の第6回公演で「落語に専念するため」黒紋付きに緑の袴姿で本家ばりの卒業セレモニーを行なって引退した[2]。
1995年から1998年まで笑福亭福三(二代目森乃福郎)らが立ち上げた、新作落語だけを披露する落語会である新撰落語もぎた亭に参加していた。
受賞歴
脚注
- ^ a b “筋金入りの宝塚歌劇ファンが上方落語の繁昌亭大賞に 林家花丸さん”. 産経新聞. (2014年11月25日) 2014年11月28日閲覧。
- ^ “宝塚にハマった上方落語家 落語&レビュー「花詩歌(はなしか)タカラヅカ」 横浜で29日”. 毎日新聞 (2018年9月28日). 2020年8月30日閲覧。 “花丸さんは昨年の公演で「退団セレモニー」まで本家をまねて一線を退いた。”
出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、1989年、ISBN 458212612X)
- 『上方落語家名鑑』(やまだりよこ著、出版文化社、2006年)
外部リンク
- 協会員プロフィール:林家花丸 - 上方落語協会公式プロフィール
固有名詞の分類
- 林家花丸のページへのリンク