桂文蝶とは? わかりやすく解説

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桂文蝶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 14:05 UTC 版)

桂 文蝶(かつら ぶんちょう)は、落語名跡

結び柏は、桂文蝶の定紋である。

かつら 文蝶 ぶんちょう
本名 池田 竹蔵
生年月日 1888年
没年月日 1977年
出身地 日本
師匠 桂文治郎
名跡 桂燕若
桂文蝶
活動期間 1918年 - 1976年
活動内容 上方落語
ヘタリ
所属 吉本

桂 文蝶(かつら ぶんちょう、1888年明治21年) - 1977年昭和52年)[1])は、明治から昭和にかけての上方落語落語家。本名、池田 竹蔵[1]。長命で大阪(上方落語)での明治生まれの最後の落語家とされる[5]

もとは三遊亭志ん蔵等とともに素人落語をやっていた[要出典]

1918年ともいわれるころから師匠不明だが燕若を名乗っていたという[要出典]。後に桂文治郎の門下になり文蝶に改名[1]

1921年頃から吉本の傘下に名が見える。その時からすでにヘタリ(囃子方)を勤めていたようで、戦後も戎橋松竹千日劇場道頓堀角座などで[要出典]長くヘタリをやっていた[1][5]

落語家としては引退同然であったが、のちの「上方落語四天王」(6代目笑福亭松鶴3代目桂米朝5代目桂文枝3代目桂春團治)などに貴重な古いネタを伝承した[要出典]2代目桂枝雀も『八五郎坊主』をつけてもらったと著書で語っている[6]

好物は柿であったそうである。また、趣味は釣りであったらしい(米朝は「馬の尾」で語っている)[要出典]

笑福亭松葉が入門後、高座名が「松葉」に決まったと文蝶に告げると「よかったでんなあ。うちのお師匠さん(文治郎)の名前だっせ」と喜んだという[7]

1976年に引退披露を行い[要出典]、翌年に亡くなった[1][5]

『古今東西噺家紳士録』に、枝雀が稽古をつけてもらった時に録音した『歌根問』が収録されている。他にも数点稽古のために録音したネタが残されている。[要出典]

動物園』の登場人物の園長の池田はこの文蝶の本名に由来する[要出典]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 古今東西落語家事典 1989, p. 394, 索引小事典―上方.
  2. ^ a b 落語系圖 1929, pp. 66–67.
  3. ^ 古今東西落語家事典 1989, p. 284, 上方篇 四、諸派乱立の時代(二代目桂米喬の項).
  4. ^ 落語系圖 1929, p. 81.
  5. ^ a b c 桂米朝 2020, p. 148.
  6. ^ 「『噺』の話あれこれ 秋の巻 情は情でも落語の情は」2代目桂枝雀『らくごDE枝雀』筑摩書房<ちくま文庫>、1993年、p.151(小佐田定雄との対談)。
  7. ^ 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年、p.349

参考文献

関連項目





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