へたり・戻り前座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:40 UTC 版)
かつての落語界では、落語家が「二つ目に昇進できるのにあえて前座に止まる」ためのへたりという制度があった。へたりは前座同様下座のお囃子や楽屋の雑務をこなすのに加え、歌舞伎でいう「頭取」のように、寄席の事務を担当する場合があった。4代目橘家圓喬は一旦二つ目に昇進したが、親を養う金を稼ぐために、自ら前座に降格した。そのまま年齢を重ねることが多かったことから、永久前座あるいは万年前座という異名もあった。 江戸落語では、昭和30年代までへたりが数人いた。立川談志は著書において、橘ノ圓福および、「こぶ正」こと林家正吉という2人の「万年前座」の存在について証言している。 上方では、「へたり」は寄席囃子を専門に務める人を意味し、重宝された。主なへたりには三升小三(戎橋松竹)・桂右之助(千日劇場・旧うめだ花月)・桂文蝶(千日劇場)・桂團治(道頓堀角座)・橘家つばめ(神戸松竹座)・2代目三升紋三郎(新花月)などがいた。 また二つ目が真打昇進を諦め再び前座に戻ることを戻り前座という。 現在はこのようなへたり、戻り前座になるものは全くいないといってよい。二つ目が他の組織に移籍したことでその組織で前座修業をやり直す場合や、二つ目で廃業したのち復帰し、再度前座から修業し直すといった場合は、その落語家をへたりや戻り前座とは呼ばない。
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