桂文治郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 芸能人 > 芸人 > 落語家 > 桂文治郎の意味・解説 

桂文治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 00:41 UTC 版)

初代 かつら 文治郎 ぶんじろう
本名 飯田 竹治郎
生年月日 1878年
没年月日 1948年6月2日
出身地 日本大阪
師匠 3代目笑福亭松鶴
2代目桂梅枝
5代目林家正三
2代目桂文團治(7代目桂文治)
弟子 桂文蝶
名跡 1.笑福亭松葉
2.桂枝吉
3.林家正朝
4.桂小圓治
5.桂文治郎
活動期間 ? - 1948年?
活動内容 上方落語
音曲
素噺
所属 三友派
吉本
主な作品
立ち切れ線香

初代桂 文治郎(かつら ぶんじろう、1878年 - 1948年6月2日)は、上方噺家。本名: 飯田 竹治郎。

経歴

大阪市中央区高津の銀細工職人の家に長男として生まれる。

3代目桂文三の芸に憧れ、18歳で稽古屋通いをはじめ、その後に落語家を志す。

3代目笑福亭松鶴門下に入り笑福亭松葉を名乗る。

後に一座を組み地方廻りに転じたが、やがて2代目桂梅枝門下に移り枝吉。

梅枝の死後、5代目林家正三門下に移り正朝と、師匠を転々とする。

最後に2代目桂文團治門下となり、桂小圓治となる。

1912年に上京した際、東京に三遊亭小圓治がいたので紛らわしいため、文治郎に改名。

美声の持ち主で、若年時から稽古屋通いをしており、文治郎となる以前は専ら音曲師として活躍していた。その後、三友派内で軽視されていることに不満を持ち、草創期の吉本興業・花月派に移籍。素噺に転じて以降は、中堅所として人気を得た。

立ち切れ線香』を演じた際、お茶屋のおかみさんからただで宣伝してくれると感謝された。

また1928年の昭和天皇の御大典記念観兵式で秩父宮高松宮賀陽宮の前で『義太夫息子』を演じ「私ら下々のものはカカアのこと、いや妻のことをオイと申します…」とやって、彼らに大うけし、後にそれを自慢をしていた。

親子茶屋』『立ち切れ線香』『仕込みの大砲』『百年目』などの茶屋噺で人気を集め、他にも『欲の熊鷹』『軒付け』『お文さん』などが十八番だった。晩年は新世界花見小路で料亭「十郎」を営みながら寄席に出ていた。

弟子

出典

  • 月亭春松(編)『落語系圖』[要文献特定詳細情報] - 表記が「文次郎」となっているが、誤植か。
  • 諸芸懇話会・大阪芸能懇話会(共編)『古今東西落語家事典』平凡社、1989年)
  • 『笑根系図』(私刊)、1961年
  • 『古今東西噺家紳士録』[要文献特定詳細情報]




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桂文治郎」の関連用語

桂文治郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桂文治郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桂文治郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS