浄瑠璃息子
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『浄瑠璃息子』(じょうるりむすこ)は上方落語の演目。明治期の落語家桂文屋の作[要出典]。8代目桂文治が江戸落語に移入し、『義太夫息子』(ぎだゆうむすこ)の演題となった[1][2]。
浄瑠璃に熱中する息子を父親が許さず、夜遅く帰宅しても自宅に入れないという状況で、息子が腹いせに浄瑠璃をうなる中で起きる騒動を描く。落ち(サゲ)は、浄瑠璃界の用語でやじられることを「槍を食う」と呼ぶことに由来する[1][2][3]。
あらすじ
※以下、東大落語会(1973)、宇井無愁(1976)掲載の内容に準拠する[2][3]。
息子が浄瑠璃語りにすっかり熱中し、稽古のために夜遅くまで外出しているのに父親が腹を立てる。ある晩息子が帰宅して、表戸を叩いても父親は開けず、息子の詫び言も受け入れない。その様子に息子は開き直り、「夜通し浄瑠璃を語って寝かせまへん」と浄瑠璃をうなり始める。そこへ警察官(巡査)が通りかかり、訳を話すと取りなしてもらって息子は家の中に入ることができた。しかし、入ってからも浄瑠璃語りを続け、父親の叱責にも浄瑠璃の台詞で返答する始末。
父親が「帰って来て毎晩剣突(けんつく)食らわせられるのは聞き飽きた(あるいは面白くない)だろう」と諭すと息子はこう答えた。
「剣突ぐらい何でもない、床(浄瑠璃の演台)へ出たら槍を食い通しや」
脚注
参考文献
- 浄瑠璃息子のページへのリンク