浄発願寺とは? わかりやすく解説

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浄発願寺

読み方:ジョウホツガンジ(jouhotsuganji)

宗派 天台宗

所在 神奈川県伊勢原市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

浄発願寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 13:01 UTC 版)

浄発願寺 じょうほつがんじ
本堂
所在地 神奈川県伊勢原市日向1816
位置 北緯35度26分9.3秒 東経139度16分11.6秒 / 北緯35.435917度 東経139.269889度 / 35.435917; 139.269889座標: 北緯35度26分9.3秒 東経139度16分11.6秒 / 北緯35.435917度 東経139.269889度 / 35.435917; 139.269889
山号 無常山
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長13年(1608年
開山 弾誓
法人番号 3021005003768
浄発願寺
浄発願寺 (神奈川県)
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同寺の三重塔

浄発願寺(じょうほつがんじ)は、神奈川県伊勢原市にある天台宗寺院

歴史

1608年慶長13年)、弾誓によって開山された。弾誓は木食戒をなした僧侶で「木食上人」と称された。弾誓は徳川家康帰依を受け、一ノ沢の土地が与えられた。そこに修行のための寺を創建したのが当寺の起源である[1][2]

第4世住職空誉は、佐竹氏の出身だったこともあり、これまで岩屋草庵程度しかなかった当寺を立派な伽藍を備えた大寺院に発展させた。江戸時代放火殺人以外の罪人は、当寺に駆け込めば助けられるという一種の「駆け込み寺」の役割を果たしていた[3][2]

明治時代、当寺が寛永寺の末寺だったこともあって、明治政府との風当たりが厳しくなったこと、パトロンとなっていた大名家の援助も打ち切られたことで、寺運衰微を余儀なくされた。40人いた修行僧も2人に激減した[2]

昭和13年の台風による土砂崩れにより、約1キロメートル南東の現在地に移転した。旧所在地は、現在「奥の院」と呼ばれ、その遺構が残されている[3][2]

文化財

  • 浄発願寺縁起絵巻(伊勢原市指定文化財 昭和53年6月28日指定)[4]
  • 六字名号雨乞軸(伊勢原市指定文化財 昭和53年6月28日指定)[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 浄発願寺伊勢原市
  2. ^ a b c d 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉・神奈川編)』読売新聞社、1986年、193-195p
  3. ^ a b 浄発願寺伊勢原市観光協会
  4. ^ 浄発願寺縁起絵巻伊勢原市
  5. ^ 六字名号雨乞軸伊勢原市

参考文献

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅(千葉・埼玉・神奈川編)』読売新聞社、1986年


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