浄瑠璃光寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 浄瑠璃光寺の意味・解説 

浄瑠璃光寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 23:19 UTC 版)

淨瑠璃光寺
所在地 茨城県石岡市根小屋404
位置 北緯36度13分11.0秒 東経140度12分54.6秒 / 北緯36.219722度 東経140.215167度 / 36.219722; 140.215167座標: 北緯36度13分11.0秒 東経140度12分54.6秒 / 北緯36.219722度 東経140.215167度 / 36.219722; 140.215167
山号 佐久山
宗旨 真言宗
宗派 豊山派
本尊 薬師如来
創建年 元弘3年/正慶2年(1333年
開山 恵一上人
法人番号 4050005003816
浄瑠璃光寺
浄瑠璃光寺 (茨城県)
テンプレートを表示

浄瑠璃光寺(じょうるりこうじ) は、茨城県石岡市根小屋にある真言宗豊山派[1]寺院。本尊は薬師如来[2]

片野城の郭内に位置し、片野城主太田資正の墓とされる五輪塔がある[3]

歴史

元弘3年/正慶2年(1333年)に栄智房(恵一上人)宥𤯷(えいちぼうゆうこう。𤯷は「舜」の右に「生」)が常陸国茨城郡石塚(現在の東茨城郡城里町)の佐久山薬師堂に入り、真言宗灌頂道場として寺号を浄瑠璃光寺に改めたことに始まる[4]

宥𤯷は伊豆国走湯山で妙浄上人宥祥の伝法灌頂を受け、常陸に下向して浄瑠璃光寺を拠点に活動し、室町時代に常陸北半に広がったその法流は浄瑠璃光寺の山号から「佐久山方」と称された[5]

室町時代後半になると佐久山方の隆盛に伴って末寺が各地の領主と結びついて浄瑠璃光寺の影響力を脱し、戦国時代には浄瑠璃光寺は衰退して石塚の領主石塚氏の祈祷寺となっていた[4]天正19年(1591年)または文禄4年(1595年)、石塚氏は主家佐竹氏の命により新治郡片野城に移封され、その際に祈祷寺である浄瑠璃光寺も片野城下の根小屋村に移した[3][4]。その後、荒廃した石塚の浄瑠璃光寺跡に天台宗の光雅が入り、佐久山多聞院薬師寺として再興している[4]。同寺の本尊である薬師三尊像(重要文化財)は元は浄瑠璃光寺の本尊であったと伝わる[6]

慶長7年(1602年)、佐竹氏が出羽国秋田に転封させられると石塚氏も片野城を去ったが、浄瑠璃光寺は根小屋村に残り、江戸時代には朱印地15石を拝領していた。明治維新後も廻廊付きの楼門、本堂、庫裏などを保っていたが、大正12年(1923年)に焼失した[3]

火災からの再建後は本堂と山門のみの無住寺院となった[7]。本堂の南西に墓地があり、当地で没した太田資正の墓が残っている[3]

脚注

  1. ^ 寺院総覧編纂局 編 『大日本寺院総覧』 上、名著刊行会、1966年、1083頁。  国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 松延其太郎 編 『新治郡一覧』完成社、1902年、91頁。  国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c d 片野城址” (PDF). 東京航業研究所 (2006年). 2023年2月6日閲覧。
  4. ^ a b c d 茨城県立歴史館 編 『茨城県史料 中世編 3』茨城県、1990年、116-117頁。  国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 『茨城県史 中世編』茨城県、1986年、479-489頁。  国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 木造薬師如来及両脇侍像”. 城里町公式ホームページ. 2023年2月6日閲覧。
  7. ^ 山本秋広 『佐竹秋田に遷さる』(増補3版)山本秋広、1969年、649-651
頁。  国立国会図書館デジタルコレクション

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  浄瑠璃光寺のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浄瑠璃光寺」の関連用語

1
12% |||||

浄瑠璃光寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浄瑠璃光寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浄瑠璃光寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS