浄珠院
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| 浄珠院 | |
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| 所在地 | 愛知県岡崎市上和田町北屋敷55番地 | 
| 位置 | 北緯34度55分54.0秒 東経137度09分10.0秒 / 北緯34.931667度 東経137.152778度座標: 北緯34度55分54.0秒 東経137度09分10.0秒 / 北緯34.931667度 東経137.152778度 | 
| 山号 | 清光山 | 
| 宗旨 | 浄土宗 | 
| 宗派 | 西山深草派 | 
| 本尊 | 阿弥陀如来 | 
| 創建年 | 承和年間 | 
| 開山 | 慈覚大使円仁 | 
| 中興年 | 応永年間 | 
| 中興 | 教然良頓 | 
| 札所等 | 三河十二本寺 | 
| 文化財 | 絹本著色法然上人絵伝 | 
| 公式サイト | 浄珠院ホームページ | 
| 法人番号 | 1180305000206 | 
 
    
   浄珠寺(じょうしゅいん)は、愛知県岡崎市上和田町にある浄土宗西山深草派の寺院。岡崎市役所の刊行物には「じゅうじゅいん」とある。
概要
天台宗の慈覚大使円仁が承和年間(834年~848年)に創建した清光院大海寺を起源とする。応永年間(1394年~1427年)に松平泰親の長子である教然良頓により浄土宗に改宗され再興された[1]。山号は清光山。本尊は阿弥陀如来。
松平氏の外護を受け、永禄6年(1563年)の一向一揆の際は本寺で和議が成立した。
田中吉政の寺社領取り上げで寺領を失ったが、慶長8年(1603年)8月26日付家康朱印状で20石を給された[2]。近世は末寺が25あった。
1972年(昭和47年)7月5日、絹本著色法然上人絵伝が市の指定文化財に指定された[3]。
脚注
- ^ 住職ご挨拶と浄珠院の概要/徳川家・松平家ゆかりの寺、愛知県岡崎市、浄珠院
- ^ 『新編 岡崎市史 近世 3』新編岡崎市史編さん委員会、1992年7月1日、117頁。
- ^ 岡崎市指定文化財目録 | 岡崎市ホームページ
参考文献
- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、192頁。
- 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、169-170頁。
外部リンク
- 浄珠院のページへのリンク

 
                             
                    









