浄珠院とは? わかりやすく解説

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浄珠院

読み方:ジョウシュイン(joushuin)

宗派 曹洞宗

所在 岩手県和賀郡東和町

本尊 釈迦如来地蔵菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

浄珠院

作者宮城谷昌光

収載図書新三物語 上巻
出版社新潮社
刊行年月2008.8


浄珠院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 14:43 UTC 版)

浄珠院
所在地 愛知県岡崎市上和田町北屋敷55番地
位置 北緯34度55分54.0秒 東経137度09分10.0秒 / 北緯34.931667度 東経137.152778度 / 34.931667; 137.152778座標: 北緯34度55分54.0秒 東経137度09分10.0秒 / 北緯34.931667度 東経137.152778度 / 34.931667; 137.152778
山号 清光山
宗派 浄土宗西山深草派
本尊 阿弥陀如来
創建年 承和年間
開山 慈覚大使円仁
札所等 三河十二本寺
文化財 絹本著色法然上人絵伝
公式サイト 浄珠院ホームページ
法人番号 1180305000206
浄珠院
浄珠院 (愛知県)
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本堂内陣

浄珠寺(じょうしゅいん)は、愛知県岡崎市上和田町にある浄土宗西山深草派寺院岡崎市役所の刊行物には「じゅうじゅいん」とある。

概要

天台宗の慈覚大使円仁が承和年間(834年~848年)に創建した清光院大海寺を起源とする。応永年間(1394年~1427年)に松平泰親の長子である教然良頓により浄土宗に改宗され再興された[1]。山号は清光山。本尊阿弥陀如来

松平氏の外護を受け、永禄6年(1563年)の一向一揆の際は本寺で和議が成立した。

田中吉政の寺社領取り上げで寺領を失ったが、慶長8年(1603年)8月26日付家康朱印状で20石を給された[2]。近世は末寺が25あった。

1972年(昭和47年)7月5日、絹本著色法然上人絵伝が市の指定文化財に指定された[3]

境内には耳取縄手の戦いで討ち死にした松平信孝の墓がある。

脚注

参考文献

  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、192頁。 
  • 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、169-170頁。 

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