松平泰親とは? わかりやすく解説

松平泰親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 02:40 UTC 版)

 
松平 泰親
時代 室町時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 太郎左衛門(通称)、用金(法名)
戒名 良祥院殿秀岸祐金
墓所 愛知県豊田市松平町高月院
愛知県岡崎市岩津町信光明寺
愛知県岡崎市本宿町法蔵寺
愛知県岡崎市鴨田町大樹寺
主君 不明
氏族 松平氏
父母 父:松平信重
兄弟 信武泰親
蓮昇院
教然益親
特記
事項
松平泰親の生涯は不明である。
テンプレートを表示

松平 泰親(まつだいら やすちか)は、室町時代初期(14世紀後半から15世紀初め頃)の三河国松平氏の第2代当主とされる人物[1]

生涯

愛知県岡崎市鴨田町の大樹寺内にある松平八代墓の松平泰親の墓
(2019年11月)

松平親氏松平郷愛知県豊田市松平町)に郷敷城を築き、近隣の諸領主の平定に乗り出すと、泰親は親氏を助けて活躍した。

親氏の死後、家督を継承して松平氏を近隣十数か村を領有する有力国人領主に成長させた。松平氏が額田郡岩津(現在の岡崎市北部地域岩津町。松平郷からは低い山を越えた南)を占領して岩津城を築き、西三河の平野部に初めて進出したのは泰親(または信光)の時代とされる。

以降の松平氏

泰親の後を継いだ信光(実際は親氏の子とされる)が岩津松平家を継承し、岩津に居城を移して本格的に西三河平野部を平定していった。一方、松平郷は信光の兄・太郎左衛門信広(これも親氏の子とされる)が継承し、松平郷松平家の祖となった。

異論・諸説

上述したような泰親の事歴については後世の徳川氏・松平氏の主張によるものに過ぎず、伝説の域を出るものではない。松平氏創業の二代、親氏と泰親は同時代の史料にその名を見出すことが出来ず、実在を疑われてもいる。

脚注

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平泰親」の関連用語

松平泰親のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平泰親のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平泰親 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS