松平康親とは? わかりやすく解説

松平康親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 01:20 UTC 版)

松平 康親(まつだいら やすちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め松井 忠次(まつい ただつぐ)と称す。通称は金四郎、左近将監、左近尉、左近、後に松平周防守康親と改称したとされるが異説もある。松井忠直の子。松井松平家(三河松井氏)の祖。


注釈

  1. ^ 当該文書で安堵を受けた大鏡坊は駿河国東部(現在の静岡県富士宮市)にあり、徳川氏領国だった時代の午年は天正10年に限定される。
  2. ^ 法応寺は昭和30年に廃寺となった。また、中島次太郎は『徳川家臣団の研究』の中で駮馬の法応寺跡に松平義春両名の墓と共に壮大な康親の墓があると述べている。東条城近くの法応寺跡には松平家忠・松平義春両名の墓と共に康親の墓があったが、同寺跡を地権者が売却し、土砂採取により乱開発され、家忠・義春両名の墓および康親の顕彰碑などは平成23年に吉良町岡山の花岳寺(東条吉良氏の菩提寺)境内に移築された。但し、死去した三枚橋城近隣の浄土宗乗運寺(静岡県沼津市)にも康親の墓が存在し、実際にはこの墓に葬られたらしい。また茨城県笠間市笠間の月崇寺にも墓所が存在する。

出典

  1. ^ 『村山浅間神社文書』天正10年4月3日付大鏡坊宛黒印状
  2. ^ 柴 2014, pp. 211–212.
  3. ^ 柴 2014, pp. 229–230.
  4. ^ 寛政重修諸家譜』巻第373


「松平康親」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平康親」の関連用語

松平康親のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平康親のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平康親 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS