余族とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 17:41 UTC 版)
なお、永禄11年(1568年)の徳川氏帰属の際の鵜殿三郎の寄騎衆にみえる松井和泉守某は武田氏に降った宗恒とは袂を分けたが、元亀3年の二俣城再落城後は消息が知れない。和泉守の同族で同僚の松井八郎三郎の子(弟とも、士林泝洄による)に松井兵部少輔がある。こちらは徳川氏配下に復帰して松平康親娘・濱(はま)と天正11年(1583年)1月に結婚した。その子は尾張清洲城主松平忠吉の家臣・松井勘兵衛、その子・尾張藩名古屋町奉行の松井武兵衛と連なる。武兵衛の末裔が松井石根である。
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