今川義元とは?

いまがわ‐よしもと〔いまがは‐〕【今川義元】


いまがわ‐よしもと【今川義元】


今川義元

読み方いまがわ よしもと

戦国時代武将今川氏親三男駿河遠江三河支配した。幼時出家させられるが、兄氏輝の死去還俗し、足利義晴より偏偉を賜り義元と名乗って家督を継ぐ。翌年武田信虎同盟を結んだことで北条氏との関係が悪化するが、関東の上憲政とともに北条氏康挟撃天文16年松平竹千代を奪い織田信秀に与した戸田氏を滅ぼし、松平広忠死後三河支配した。天文23年武田晴信北条氏康との間に三国同盟を結ぶ。公家文化精通し、和歌を嗜んだ。永禄3年(1560)桶狭間織田信長奇襲を受け討死41才。

今川義元(いまがわ よしもと) 1519~1560

○芳菊丸 梅岳承芳 駿河守 三河守 治部大輔
◇父:今川氏親 室:武田信虎女 子今川氏真泉奘、長得
 僧籍にあったが兄急死後、兄良真との家督争い(花倉の乱)に勝ち、駿河・今川氏当主となる。太原雪斎軍師迎え相模・北条氏尾張織田氏侵攻勢力拡大、後には甲相駿三国同盟を結んで地盤を確実なものとした。内政についても父からの領国経営継承して検地徹底直臣強化を図ると共に、「仮名目録追加21ヶ条を出している。今川氏全盛期迎え、“海道一の弓取り”とうたわれた。1560年、27千の大軍を率いて上洛を図る(尾張攻略のみとも)が、桶狭間において雨の中休息中、尾張織田信長奇襲を受け、自ら太刀振るって戦うが、その臣毛利新介に討たれた。享年42歳。義元は京風文化憧れ、顔に化粧施し、又、肥満していた為、行軍時は輿に乗っていたという。

今川義元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 01:58 UTC 版)

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代駿河国及び遠江国守護大名戦国大名今川氏第11代当主で姓名は源義元。姉妹との婚姻関係により、武田信玄北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。


注釈

  1. ^ 一説には妹ではなく井伊直平の娘で、義元の側室となり後に関口親永に嫁いだという。また、別の説では親永の実兄である瀬名氏俊の室との誤認とする説もある。
  2. ^ 「護国禅師三十三回忌香語写」の記述より[2][3]。ただし、今川彦五郎を義元の兄とみるか弟とみるかで見解が異なり、黒田基樹は四男説を採る[4]
  3. ^ 江戸時代の元禄頃に成立した説話集『武家雑記』によると、寺に預けられた理由について「義元は足が短く胴長の障害者であったため寺に入れられた」と記されている。しかし、武将の子が寺に入るのは、学問を身に付けるため、さらには兄弟間の家督争いを避けるためであり、珍しいことではなかった(上杉謙信も、幼少期には仏門に出されている)ため、これは義元を貶めるため、少年時代までさかのぼり、事実を歪曲したものと思われる[5]。もっとも、近年出された義元庶出説に従えば、嫡子ではないために家督相続が最初から想定されていなかったから、という説明も可能である。
  4. ^ 建仁寺262世。東常縁の子。兄に駿河・最勝院の素純がおり、その縁で駿河を訪れて雪斎とも交流があった[7]
  5. ^ 梅岳承芳(ばいがくしょうほう)とも。
  6. ^ 今川家側の史料に彦五郎の名を記したものはなく、『今川記』『今川氏系図』には彦五郎の記載はない。彦五郎に関する史料は、いずれも今川家以外の人物によって記されたものである。大永6年(1526年)に行われた今川氏親の葬儀には「今川氏親公葬記」という詳細な記録が残されているが、彦五郎が出席して記録に残されてしかるべき状況にも名はない[9]。こうした不可解な状況から、今川義元が家督継承後に記録を書き換え、彦五郎の存在を抹消したという推測さえある[9]現在のところ有力な説である。
  7. ^ ただし、親族の後見のない幼少の竹千代を岡崎城に置いて松平家を存続させるのは事実上不可能であり、義元が竹千代を人質としたのは事実上保護を加えて今川傘下の国衆として同家の存続を図ったとする見方もある(柴裕之「松平元康との関係」「桶狭間合戦の性格」黒田基樹 編『シリーズ・戦国大名の新研究 第1巻 今川義元』(戎光祥出版、2019年6月) ISBN 978-4-86403-322-0 P278・298-300.)。
  8. ^ 桶狭間合戦当時の最盛期の義元の領国は、駿河・遠江・三河の3カ国69万石(太閤検地)である。なお、尾張国は領国化されておらず、尾張国内に、反織田方として山口氏・服部氏などが今川に呼応する動きを見せている。日本軍参謀本部作成の日本戦史における桶狭間役の分析では、石高の低い駿河・遠江・三河が水増しされ、さらに尾張が領国に組み入れられ、100万石と推定され、1万石につき250人の兵役で、総兵力2万5千とされているが、信長公記では4万5千となっており、正確な実数は不明である。
  9. ^ かつては富春院の北側に氏真が父の菩提を弔うために建立した陽光山天澤院(開山は臨済寺三世・東谷宗杲和尚)があったが、江戸時代末期に衰退したため、木像を臨済寺に移し、明治24年(1892)には廃寺となり、墓も臨済寺に移した。その跡地に慰霊塔が建立された。また、富春院には義元の位牌(高さ58cm)がある。
  10. ^ 岡部家は代々岸和田藩主。
  11. ^ 今川氏親の次女で寿桂尼の甥である中御門宣綱の正室。夫と共に度々駿河に下向して寿桂尼を頼っていたため、彼女の実娘と考えられる。なお、氏親の長女である徳蔵院(吉良義堯室)も寿桂尼の実娘と考えられる[15]
  12. ^ 軍師の太原雪斎が桶狭間前に亡くなったことも影響している。詳しくは本人の欄を参照。
  13. ^ 異本の金吾利口書および宗滴夜話には、今川殿となっており、義元も指すかは不明瞭である。

出典

  1. ^ 二本松市史. 第5巻 (資料編 3 近世 2) 、著者 二本松市 編集・発行、出版者 二本松市、出版年 昭和 54.2 1979-2002 第二編 25 世臣伝 一之上/604〜616頁より引用
  2. ^ 大石 2019, pp. 10-11, 「総論 今川義元の生涯」.
  3. ^ 黒田 2019, p. 101, 大石泰史「花蔵の乱再考」.
  4. ^ 黒田 2017, pp. 58-61.
  5. ^ 『桶狭間の戦い』 小学館〈新説 戦乱の日本史 第10号〉、2008年。 
  6. ^ 今枝愛眞「戦国大名今川氏と禅宗諸派」『静岡県史研究』14号、1997年。/所収:黒田基樹編 『今川氏親』 戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二六巻〉、2019年4月、264-265頁。ISBN 978-4-86403-318-3 
  7. ^ 大石 2019, p. 12, 「総論 今川義元の生涯」.
  8. ^ 小和田哲男『週刊ビジュアル戦国王』第77号、2017年12月19日、 23頁。
  9. ^ a b 小和田 2004, p. 68.
  10. ^ 黒田 2019, 柴裕之「松平元康との関係」「桶狭間合戦の性格」.
  11. ^ 「今川義元もっと知って/来年生誕500年祭/静岡 地元で票世紀再評価・発信」『日本経済新聞』夕刊2018年7月7日掲載の共同通信記事(2018年7月12日閲覧)
  12. ^ 『読売新聞』令和元年6月5日水曜日25面記事
  13. ^ 笹間良彦『イラストで時代考証 日本合戦図図典』雄山閣、1997年。
  14. ^ 小川剛生『武士はなぜ歌を詠むのか 鎌倉将軍から戦国大名まで』角川学芸出版、2008年7月、241-242頁。
  15. ^ a b c d 黒田 2017, pp. 37-63.
  16. ^ a b c d 黒田 2019, pp. 86-108, 大石泰史「花蔵の乱再考」
  17. ^ a b c 黒田 2019, pp. 213-218・228-229, 浅倉直美「北条氏との婚姻と同盟」
  18. ^ 浅倉直美「花蔵の乱をめぐって」『戦国史研究』77号、2019年5月。
  19. ^ 『NHK大河ドラマストーリーガイド「風林火山」前編』 NHK出版、2006年12月、57頁。ISBN 4-14-923345-4 
  20. ^ 大石 2019, pp. 35-36, 「総論 今川義元の生涯」.
  21. ^ 今川義元「一度の敗北だけで…」静岡市長ら復権宣言 - 『毎日新聞』朝刊2017年5月20日


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