いまがわ‐よしもと〔いまがは‐〕【今川義元】
今川義元
今川義元(いまがわ よしもと) 1519~1560
◇父:今川氏親 室:武田信虎女 子:今川氏真、泉奘、長得
僧籍にあったが兄急死後、兄良真との家督争い(花倉の乱)に勝ち、駿河・今川氏当主となる。太原雪斎を軍師に迎えて相模・北条氏、尾張・織田氏に侵攻し勢力を拡大、後には甲相駿三国同盟を結んで地盤を確実なものとした。内政についても父からの領国経営を継承して検地を徹底、直臣の強化を図ると共に、「仮名目録追加」21ヶ条を出している。今川氏は全盛期を迎え、“海道一の弓取り”とうたわれた。1560年、2万7千の大軍を率いて上洛を図る(尾張攻略のみとも)が、桶狭間において雨の中休息中、尾張・織田信長に奇襲を受け、自ら太刀を振るって戦うが、その臣毛利新介に討たれた。享年42歳。義元は京風文化に憧れ、顔に化粧を施し、又、肥満していた為、行軍時は輿に乗っていたという。
今川義元
今川義元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 00:55 UTC 版)
1560年5月、4万人の軍勢を率い京に向かって進軍中、途中にいる織田軍を小石扱いし攻撃を仕掛け丸根城と鷲津城を陥落させた。その後、田楽狭間で休憩しているところをたった二人の織田軍に奇襲を受け毛利新介(を名乗る二代目ニンジャマン)に討たれた。織田軍を小石扱いした後は、決まって足元の小石に躓き転んでいた。今川焼が好物という設定。(当然、当時は無かったであろうが)
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今川義元
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「タイムスリップ探偵団」の記事における「今川義元」の解説
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今川義元
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「こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場人物」の記事における「今川義元」の解説
実在した戦国武将。アニメスペシャル「両津の野望!タイムスリップ戦国伝」に登場。秀吉が弱気になっていたため本来は信長が勝つはずだった桶狭間の戦いに勝利し天下を取る。しかし、本田のバイク(白バイ)に乗った秀吉(両津)・本田によって倒される。
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今川義元
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今川家当主。桶狭間にて織田軍に討ち取られる。生前の登場はなく、討ち取られた首が登場する。
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今川義元
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「ザ・ドラえもんズ スペシャル」の記事における「今川義元」の解説
桶狭間の戦いで織田軍に敗れた戦国武将。本作では既にバンパイア・サイボーグに殺害されているようで本人は登場しない。洗脳された王ドラが義元に成り済ましていた。
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今川義元
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今川義元(声:柴田秀勝)
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「決戦III」の記事における「今川義元(声:柴田秀勝)」の解説
「海道一の弓取り」と謳われる駿河の戦国大名。貴族の生活に憧れており、大軍を率いて京を目指し「桶狭間決戦」で信長と激突する。
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今川義元
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今川家の当主でツッコミ役。息子の放蕩ぶりに手を焼き何とか更生させようとするも、周囲のボケぶりに翻弄されいつも失敗する。公家かぶれの肥満体という外見で、もてない男が強調され、息子の氏真からは血縁関係を疑われた(あまりにもモテないので赤の他人を養子にしたと思われた)ことすらある。それどころか、家中では「この世で一番モテない男」呼ばわりされる、お菓子を差し出しただけで侍女が顔色を変え必死で断るなど、かなり悪いイメージを持たれているらしい。見た目に反して、作中でも1・2を争うくらいまともな殿で、実は今川家では唯一の常識人のようである。
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今川義元(いまがわ よしもと)
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「信長協奏曲」の記事における「今川義元(いまがわ よしもと)」の解説
駿河の大名。藤吉郎(秀吉)の雇い主。藤吉郎の情報を元に織田領へ侵入するが、田楽狭間で織田軍の奇襲を受け戦死する。
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今川義元
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駿河・遠江を領する守護大名。将軍家の分家である今川氏の当主で、東海の覇王ともいうべき大大名。天子・将軍を擁して天下に号令せんと意気込み、上洛を企図して大軍を起こし、信長が家督を継いだばかりの尾張を恐慌に落とし込んだ。悪名高い「うつけ殿」など容易に蹴散らされてしまうと誰もが思ったが、信長は圧倒的な軍威に慢心する義元の油断を突き、桶狭間(正確には田楽狭間)において奇襲攻撃を敢行して見事にその首を上げた。この勝利は信長の名を一躍挙げ、「うつけ殿」の悪評を払拭してその名を高らしめるきっかけとなった。
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今川義元
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「徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「今川義元」の解説
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今川 義元(いまがわ よしもと)
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「孔雀王」の記事における「今川 義元(いまがわ よしもと)」の解説
刃を通さぬ生霊と化すことのできる「化粧呪」の使い手。信長に懸想し、夜な夜な執拗に誘いをかけてきていた。
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今川 義元(いまがわ よしもと)
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「ダンベル何キロ持てる?」の記事における「今川 義元(いまがわ よしもと)」の解説
街尾のサイドチェストで時空の壁を越えてタイムスリップしたひびきと彩也香を捕らえた戦国武将。「海道一の弓取り」の異名を持つ有名人だが、両者とも日本史の成績が「1」だったため、誰か分からなかった。ようやく思い出したひびきにとっては「織田信長にやられる人」「時代劇だと大体悪役か小物」という認識で、ひびきの無礼な発言に怒って手打ちにしようとするが、逆に執拗なローキックや延髄斬りは許すという妙な度量を持つ。
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今川義元と同じ種類の言葉
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