織田信広とは? わかりやすく解説

織田信広(おだ のぶひろ) ????~1574


織田信広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 12:50 UTC 版)

織田 信広(おだ のぶひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将尾張戦国大名である織田信秀庶長子で、織田信長の異母兄。三河安祥城主。通称は三郎五郎、後に大隅守。


  1. ^ a b c d e 岡田 1999, p. 115.
  2. ^ 堀田正敦「国立国会図書館デジタルコレクション 織田氏」『寛政重脩諸家譜 第3輯』國民圖書、1923年、555頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082714/286 国立国会図書館デジタルコレクション 
  3. ^ 西ヶ谷 2000, p. 227.
  4. ^ a b 『系図纂要』”. 東京大学史料編纂所. 2022年11月28日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 谷口 1995, p. 120.
  6. ^ 谷口 1995, pp. 122–123.
  7. ^ 三河物語 1912, p. 161.
  8. ^ a b 史料綜覧9編910冊294頁.
  9. ^ 『東照宮年譜附尾』による[8]
  10. ^ 史料綜覧9編910冊305頁.
  11. ^ 『改正三河後風土記』は織田信秀の没年を天文18年3月3日と誤認しており、同記は信長とするが、大将は信秀の誤りかもしれないし、晩年は長く病を患っていたことがわかっているので、出陣したのはやはり当主となる前の信長だったのかもしれない。
  12. ^ 成島司直 1886, p. 325.
  13. ^ 三河物語 1912, p. 164.
  14. ^ 成島司直 1886, p. 326.
  15. ^ 佐脇良之の養父。
  16. ^ a b 太田牛一 著、中川太古 訳『現代語訳 信長公記』中経出版〈新人物文庫〉、2013年、47-48頁。ISBN 978-4046000019 
    近藤瓶城 編『国立国会図書館デジタルコレクション 信長公記』 第19、近藤出版部〈史籍集覧〉、1926年、27-28頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920322/73 国立国会図書館デジタルコレクション 
  17. ^ 谷口克広『信長の親衛隊』中央公論新社、1998年。 
  18. ^ a b c d e 西ヶ谷 2000, p. 228.
  19. ^ 谷口 1995, p. 214.
  20. ^ 太田 & 中川 2013, p. 92.
  21. ^ 近藤瓶城 1926, p. 70.
  22. ^ 太田 & 中川 2013, p. 111.
  23. ^ 太田 & 中川 2013, p. 129.
  24. ^ 太田 & 中川 2013, pp. 129–132.
  25. ^ 太田 & 中川 2013, p. 132.
  26. ^ 『織田系図』”. 東京大学史料編纂所. 2016年10月25日閲覧。
  27. ^ 堀田 1923, p. 555.
  28. ^ 『丹羽歴代年譜』によれば、二人の間の子は長重のみ。
  29. ^ 信広-桂峯院-女(典通室)-稲葉一通稲葉知通稲葉恒通-女(勧修寺顕通室)-勧修寺経逸勧修寺婧子光格天皇内侍)-仁孝天皇。
  30. ^ 『系図纂要』”. 東京大学史料編纂所. 2016年6月9日閲覧。


「織田信広」の続きの解説一覧

織田信広(おだ のぶひろ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:27 UTC 版)

センゴク外伝 桶狭間戦記」の記事における「織田信広(おだ のぶひろ)」の解説

通称三郎五郎信秀長男で、信長信行秀俊の兄。小豆坂の戦いでの先鋒役を務めるなどの事跡から、本作では庶子ながら当初家督継承筆頭であった解釈されている。単に長男というだけでなく武勇誉れ高く、父や家臣団からの深い信頼集めていた。当主代理として人質であった松平竹千代養育任されるが、その際自身一礼をしなかった竹千代を「凡庸将器はない」と評価していた(当の竹千代信長会った際には一礼している)。

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織田信広(おだ のぶひろ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「織田信広(おだ のぶひろ)」の解説

通称大隅守信長庶兄で、弟である信長の家臣伊勢長島包囲戦では一軍率いて陣する。しかし信長謀略激昂し一向宗軍の標的にされてしまい、防戦空しく戦死した外伝桶狭間戦記』にも登場

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織田信広

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徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「織田信広」の解説

信長庶兄安祥城城主

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