勧修寺婧子とは? わかりやすく解説

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勧修寺婧子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 00:04 UTC 版)

勧修寺 婧子(かじゅうじ ただこ、安永9年11月6日1780年12月1日) - 天保14年3月21日1843年4月20日))は、光格天皇典侍で、仁孝天皇の生母。


  1. ^ 『光格天皇実録』巻八に、藤原婧子について「母ハ松平仲庸ノ女ナリ」と記されている。その出典として、「續三宮傳」(「母松平攝津守仲庸女」と記載)、「椒庭譜料」(「母、摂津守松平仲庸女」と記載)、「勸修寺系圖」(「母仲庸女」と記載)が挙げられている。
  2. ^ 東京大学史料編纂所所蔵『勧修寺家譜』36頁には「母家女房」と記されており、他の史料と異なる。ただし、元の家譜は1864年の禁門の変で失われており、これは明治8年に勧修寺顕允により差し出されたものである。
  3. ^ 『御系譜』などの史料に、婧子の母について「摂津守松平仲庸女」(池田仲庸の娘)と記されている。


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