盗賊伝説についてとは? わかりやすく解説

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盗賊伝説について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:50 UTC 版)

蜂須賀茂韶」の記事における「盗賊伝説について」の解説

司馬遼太郎の『街道をゆく43 濃尾参州記』に、こんな記述がある。 茂韶が宮中参内して応接室待たされたとき、ふと卓上にあった紙巻タバコを1本失敬したところ、やってこられた明治天皇がそれに気づかれ、諧謔をもって蜂須賀先祖争えんのう」と嬉しそうに茂韶をながめられたという。これは明治天皇『太閤記』記述に基づき阿波徳島藩蜂須賀氏初代蜂須賀正勝盗賊あがり(土豪あがり)だと思っていたためだろう。これがきっかけとなり、蜂須賀家では歴史学者渡辺世祐依頼して正勝盗賊ではないことを立証してもらったという。 また、司馬著書先立つ河盛好蔵の『人とつき合う法』には、名前は伏せてあるが(H侯爵となっているが、武家侯爵家でイニシャルがHになるのは他に細川家しかない)、明らかに蜂須賀家指して先祖夜盗として有名であったが、何とか先祖汚名をそそぎたく、夜盗ではなかったと立証してもらいたいと、喜田貞吉依頼したという記述がある。しかし喜田調査結果、「H侯爵家の先祖たしかに夜盗であった。しかし夜盗というものは、その時代には決し恥ずべき職業ではなかった、ということなら、歴史的に証明してみせます」と回答したため、それでは困ると沙汰やみになったという。 ただ、茂韶の父斉裕が11代将家斉皆春院の間に生まれた子なので、茂韶に蜂須賀正勝の血は流れていない。また、明治天皇祖父仁孝天皇生母東京極院の母は池田仲庸の娘であり、池田仲庸曽祖父池田光仲の母は蜂須賀至鎮正勝の孫)の娘・三保姫であるため、明治天皇正勝の間にも系譜上のつながりがある(実際勧修寺婧子と数計子に血のつながりはない)。 蜂須賀正勝家政━至鎮━三保姫池田光仲━仲澄━仲央━仲庸━数計子=勧修寺婧子仁孝天皇孝明天皇明治天皇

※この「盗賊伝説について」の解説は、「蜂須賀茂韶」の解説の一部です。
「盗賊伝説について」を含む「蜂須賀茂韶」の記事については、「蜂須賀茂韶」の概要を参照ください。

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