勧修寺尚顕とは? わかりやすく解説

勧修寺尚顕

読み方かじゅうじ ひさあき

室町後期公卿。政顯の男。正二位権大納言となる。享禄4年出家し法名を泰龍改栄空という。永禄2年(1559)歿、88才。

勧修寺尚顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/12 14:30 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
勧修寺尚顕
時代 戦国時代
生誕 文明10年(1478年
死没 永禄2年8月28日1559年9月29日
改名 尚顕→泰龍→栄空
官位 正二位権大納言
主君 後土御門天皇後柏原天皇後奈良天皇
氏族 勧修寺家
父母 父:勧修寺政顕、養父:勧修寺経熈
兄弟 尚顕、顕量、畠山家俊室、澄祝室、広橋兼秀室、畠山義総室、国子、経熈
澄清の娘
尹豊三条公頼室、粟屋元隆室、尚子
テンプレートを表示

勧修寺 尚顕(かじゅうじ ひさあき)は、戦国時代公家公卿)。

本姓藤原氏家系藤原北家高藤流甘露寺支流である勧修寺家の11代当主。堂上家のひとつで家格名家官位は、正二位権大納言

経歴

権中納言であった第9代当主・勧修寺政顕の実子。室町幕府第9代将軍足利義尚偏諱を受け、尚顕と名乗る。 室は石清水八幡宮検校・澄清の娘。実子に内大臣勧修寺尹豊左大臣三条公頼の室、左京亮粟屋元隆(はじめ住吉大社宮司・国賢)の室、典侍・勧修寺尚子などがいる。

永正5年(1508年)1月5日、任参議

天文元年(1532年)、義弟で能登守護 畠山氏当主 修理大夫畠山義総を頼りに動乱の京を離れ、能登国(もしくは加賀国)にて出家した。 法名は、泰龍、のち改め、栄空

系譜

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勧修寺尚顕」の関連用語

勧修寺尚顕のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勧修寺尚顕のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの勧修寺尚顕 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS