写本の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 10:11 UTC 版)
本写本全54帖のうち40帖が鎌倉時代の書写と見られ、伏見天皇他複数人の筆写とされる取り合わせ本である。古写のうち4帖(澪標、乙女、浮舟、夢浮橋)は青表紙本、5帖(関屋、朝顔、紅梅、総角、早蕨)は別本。13帖(夕顔、若紫、葵、絵合、松風、薄雲、初音、行幸、梅枝、鈴虫、椎本、東屋、蜻蛉)が勧修寺尚顕による室町時代の補写とみられ、本文は青表紙本である。 なお、この写本は形式的には54帖の「揃い本」であるが、「竹河」の外題を持つ巻には『狭衣物語』第二巻の本文が混入しており源氏物語の竹河巻の本文は本写本のどこにも存在しない。したがって、本写本では源氏物語としての本文が存するのは竹河巻を除く53帖分だけであり、このため「平瀬本は53帖からなる写本である」とされることもある。 また、この写本には、おそらくは古筆切にするために切り取られたとみられるところが『柏木』巻の巻末など数カ所存在する 。本写本にはいくつかの巻に不自然な落丁が存在するが、これについても古筆切にするために切り取られた跡をきれいに整えた跡であろうとする見方が存在する。また切り取られたと思われる場所には山岸徳平の記した付箋が挟み込まれている。
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写本の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 23:48 UTC 版)
写本の体裁は縦、横が約16センチの四角い枡形本。源氏物語全54帖が揃っている。古い部分は鎌倉時代の書写であり、南北朝時代の書写と見られる巻も多く、新しい時期のものは室町時代末期のものである。全巻にわたって統一した表装を持っており、各帖の布表紙は緑地の金襴緞子で装丁されている。この外題の字は近衛信尹によるものと鑑定されており、大沢家に入る直前のおそらくは豊臣家のもとにあった時期にまとめて付されたとみられる。1907年(明治40年)6月12日の「大阪朝日新聞」の記事「大澤家の宝物」では「黒塗金字の箱入り」であったとされているが現在は失われている。現所有者が入手したときには桐製の箱に入っており、また伊井春樹がみたときには段ボールの箱に入っていたという。 各帖の1面あたりの行数は、以下のようにまちまちである: 1面12行書きの帖が最も多く35帖 1面9行書きの帖 - 5帖(空蝉、夕顔、紅葉賀、花宴、賢木) 1面11行書きの帖 - 5帖(若紫、末摘花、御法、幻、椎本) 1面9行、10行、11行、12行の4種が混在するもの - 1帖(梅枝) 1面10行、12行の2種が混在するもの - 1帖(少女) 1面10行、11行、12行の3種が混在するもの - 1帖(若菜上) 1面11行、12行の2種が混在するもの - 1帖(総角) 1面10行、11行、12行、13行の4種が混在するもの - 1帖(明石) 各帖の筆者が自由な方針で書写したためにこのようになったのか、もともと行数が不統一であった本を写したためにこのようになったのかは不明である。
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写本の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 01:10 UTC 版)
源氏物語は全体で54帖からなる大部の作品であるために、全帖すべて揃っている写本は少ない。 「尾州家本」「宮内庁書陵部蔵三条西家本」「肖柏本」「高松宮家本」、「阿里莫本」、「大沢本」、「飯島本」のように54帖全てが揃っている写本 浮舟1帖だけが欠けた「保坂本」、初音1帖のみが欠けた「大島本」及び「天理河内本」、夕霧だけが欠けた「日本大学蔵三条西家本」のように1帖だけが欠けている写本、 花散里と柏木の2帖が欠けている「池田本」 四十四帖が現存する「七毫源氏」のように大部分が揃ってはいるもののわずかに欠けた巻があるもの、 さらには 若菜上下、橋姫、総角、早蕨の5帖のみが現存する「中京大学本」や花散里と柏木のみが残る前田家尊経閣文庫蔵の藤原定家自筆本 のように数帖だけが残っているもの、 「早蕨」1帖のみが残る保坂潤治旧蔵藤原定家自筆本、「行幸」1帖のみが残る関戸家蔵藤原定家自筆本、帚木のみが残る「東洋大学蔵阿仏尼本」のように1帖だけ残っているもの 1帖のさらに一部分のみが残っているもの など、「零本」と呼ばれる何らかの形で欠けている写本が大部分である。また大部の作品であることから一人の筆で54帖全てを書写している写本はまれであり、一番早いものでも室町時代中期のものである。また完本ないしそれに近い多くの巻が揃っている写本には一度もともと揃っていた巻の一部分が欠けた後になってもともとは別の写本であったものから持ってきて取り合わせて一組の揃った写本にしたり、別の写本から書写して補っているものも多い。 また国冬本のように「匂ふ兵部卿」の表題を持つ巻の中身は「夕霧」の後半部分であり、「匂宮」の内容を持つ部分は存在せず、逆に紅梅帖の後半部分が通常の巻序の場所にもありながらそれとは別に玉鬘帖の後半部分にも綴じられており二重に存在するなどある部分が二重に入っているといった場合がしばしばある。さらには平瀬本のように形式的には54帖揃ってはいるものの「「竹河」の外題を持つ巻には『狭衣物語』第二巻の本文が混入しており源氏物語の竹河巻の本文は当該写本のどこにも存在しない」といった事例もある。 2019年(令和元年)10月、「定家本」のうち「若紫」1帖が旧大名家の子孫宅で発見されたと発表した。
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写本の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 09:25 UTC 版)
「浮舟」を欠く53帖のみが現存する。なお、1937年(昭和12年)2月に冨山房から出版された橋本進吉編『源氏物語展観書解説』の「別本系統の諸本」の項には、「一五 源氏物語 五十四帖 国宝伝藤原為家筆各筆 保坂潤治氏蔵」とあるが、本写本を54帖とする資料はこれだけであり、おそらくは書き誤りであろうとされている。黒漆塗の外箱に6個の小引き出しに分けて納められている。外箱には「松平本 源氏物語」と記した紙が貼られている。
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