わか‐むらさき【若紫】
若紫
若紫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 03:07 UTC 版)
若紫(わかむらさき)は、
- ^ “15歳のニュース:15歳のニュース 最古の写本発見 源氏物語の神髄「若紫」”. 毎日新聞 (2019年10月19日). 2020年12月29日閲覧。
- ^ “源氏物語で最古の写本発見 定家本の1帖「教科書が書き換わる可能性」”. 京都新聞 (2019年10月8日). 2019年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月19日閲覧。
- ^ “藤原定家が写本の源氏物語 「若紫」見つかる、戦後初”. 日本経済新聞. (2019年10月8日) 2021年12月5日閲覧。
若紫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:02 UTC 版)
若紫は『宮内省より乗馬車の義掛合』で、1874年12月、陸軍省より宮内省に献上された「西洋種乗馬若紫」と考えられる。不用となり、1877年10月、陸軍への下渡しが決定されたとあり、前述の鼓の話は1874〜1877年の間と考えられる。『取調書』には、1874年(明治7年)、亜喇比亜から陸軍省の購入として、「星栗毛 若紫 牝 同7年宮内省へ献納 同10年返付 同11年宮城縣へ貸付」とあり、年号も含め内容が一致する。牝で星栗毛はアラビア名・フランス名がフエゼラ・ゴゼルとアテファ・アケットである。 『取調書』には、明治7年、亜喇比亜から陸軍省の購入として他に牡4頭の記載がある。若紫も含めた牡牝5頭のうち、購入金額が記してあるのは牡1頭だけのため、牡3頭は明治7年の輸入ではなく、その前に日本に持ち込まれており、確認が明治7年とした方が整合性が高く、若紫同様、当記事に該当する馬の可能性があるが、断定はできない。参考として、牡4頭の記述を示すと、 無双 鹿毛明治9年茨城県へ貸与同年返納同11年鹿児島県へ貸与、 濱名 黒鹿毛明治7年水沢県へ貸与後宮城県へ引継、 玉ノ尾 星栗毛 金250円 前同(一字不明)同9年4月死亡 三島 栗毛 前同(一字不明)現今宮城県畜養、である。 浜名、三島は静岡県に同じ地名があり、無双よりは愛鷹牧と沼津兵学寮との関係が示唆されるが断定はできない。前掲、1872年の公文書館資料と二疋は一致するが、牡牝は一致しない。 濱名と一致する黒鹿毛の牡は、ラーボー・バチアンのみ、 三島と一致する栗毛の牡は、マローフ・ナレノムメのみである。
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若紫(わかむらさき)
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「仮面のメイドガイ」の記事における「若紫(わかむらさき)」の解説
龍玉神社の巫女の妹で自身も巫女。ただし、まだ能力(というか身体の成長)は不十分。
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若紫
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「源氏物語各帖のあらすじ」の記事における「若紫」の解説
(源氏18歳3月-冬) 翌年の春、傷心の源氏は病気の加療のため北山に赴き、そこで祖母の尼君と共に住まう美貌の幼女を見かける。藤壺の姪にあたる彼女に源氏は執心し、引き取って手元で育てたいと申し入れるが尼君は応じない。夏、藤壺が病気のため宿下りする。源氏は二度目の密会を行い、直後に彼女の妊娠が発覚する。冬、源氏は北山の幼女を半ば拐うようにして手元に引き取る。若紫と呼ばれる彼女こそ、後の紫の上である。若紫参照。
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「若紫」の例文・使い方・用例・文例
- 若紫色
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