みお‐じるし〔みを‐〕【×澪▽標】
みお‐つ‐くし〔みを‐〕【×澪▽標】
読み方:みおつくし
1 《「澪(みお)つ串(くし)」で、「つ」は助詞「の」の意》澪にくいを並べて立て、船が往来するときの目印にするもの。和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。みおぎ。みおぐい。みおじるし。
「かくとだに岩垣沼の—しる人なみにくづる袖かな」〈式子内親王集〉
れい‐ひょう〔‐ヘウ〕【×澪標】
読み方:れいひょう
澪標
澪標
澪標
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 05:55 UTC 版)
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澪標(水尾つ串、水脈つ串、みおつくし[1]、みをつくし、みおづくし[2]、みおじるし[2])は、航路を示す日本の標識[1]。
概要

澪標は川の河口などに港が開かれている場合、土砂の堆積により浅くて舟(船)の航行が不可能な場所が多く座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪との境界に並べて設置され、航路を示した。同義語に澪木(みおぎ)[2]・水尾坊木(みおぼうぎ)[2]などがある。古語は「ほんぎ」で、土砂が堆積する三角洲の河口付近に設置され、満潮時には行き交う舟の運行指標となった。
澪標は古くより「水の都(水都)」と謳われていた大阪(難波宮、難波・浪速・大坂)との関連性が強く、その意匠は明治24年(1891年)に大阪市の市章等として採用されている。
かつて関東でも上方の難波に倣い、小間物町の野地豊前が洲崎に水路標を設置し、満潮時の可航水路を漁師に示した。江戸時代初期の三浦浄心『見聞集』によれば、天正19年(1591年)に設置されたこの澪標は、隅田河口を運行する漁師に喜ばれたことから、野地の名をとり「野地ほんぎ」と通称されたという。
また、和歌では「身を尽くし」との掛詞で用いられる事もあり、平安時代に詠まれた元良親王の「わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ(小倉百人一首20番)」などが代表的である。
シンボルマーク

以下の団体で章として使われている。
- 大阪市 - 市章・市旗。市章は1894年(明治27年)制定[1]。
- 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro)- 社章。大阪市交通局章を継承[3]。
- 高槻市 - 市章・市旗。大阪市と京都市の中間に位置することを示すため、両市の市章を組み合わせたデザインとなっている。
- 泉佐野市 - 市章・市旗。澪標を扇形にアレンジする形でデザインしている。
- 京阪電気鉄道 - 社章。大阪市章の澪標を6つ円形に配置して「京」の形を表現し、合わせて「京阪」をシンボライズしたもの。系列会社の新京阪鉄道(現・阪急京都本線の原型)も大阪市章の澪標と京都市章を組み合わせ「京阪」をシンボライズした社章を使用していた。
- 阪急電鉄 - 旧社章。旧・阪神急行電鉄の社章は、大阪市章の澪標と神戸市章を組み合わせ「阪神」をシンボライズしたものを丸で囲んだものであったが、戦時中に京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄が発足した際に、6つの角をもつ円形(「京」の形を表現)を組み合わせ、「京阪神」を表したものが、その後の阪急電鉄への改称後も1992年まで使用され続けた。
- 大阪電気軌道 (近畿日本鉄道)- 社章。大阪市章の澪標と図案化した「奈」を組み合わせて阪奈間を結ぶ鉄道であることを示した[4]。このほか、子会社の関西急行電鉄の社章にも澪標が取り入れられている。
- 旧細江町 - 町章・町旗。制定は昭和31年(1956年)。
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市旗(大阪市)
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救急車の運転席ドアに描かれた局章(大阪市消防局)
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局章(大阪市交通局)および社章(大阪市高速電気軌道)
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車体前面に付された市章(大阪市交通局)
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市旗(高槻市)
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市旗(泉佐野市)
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社章(京阪電気鉄道)
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社章(新京阪鉄道)
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旧社章(阪急電鉄)
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社章(大阪電気軌道)
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社章(関西急行電鉄)
脚注
- ^ a b c “大阪市:市名 市章 市歌 市の花 市政 (…>大阪市の紹介>プロフィール、歴史、市政年表)”. 大阪市. 2018年4月21日閲覧。
- ^ a b c d 大辞林 第三版『澪標』 - コトバンク、2018年4月21日閲覧。
- ^ “報道発表資料 地下鉄新会社の愛称・ロゴが決まりました”. 大阪市 (2018年1月25日). 2018年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月2日閲覧。
- ^ 西井佑輔 (2016年5月). “近畿日本鉄道の社章およびシンボルマークについて” (PDF). SUBWAY 日本地下鉄協会報 第209号. 日本地下鉄協会. p. 57. 2018年9月29日閲覧。
関連項目
澪標
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「源氏物語各帖のあらすじ」の記事における「澪標」の解説
(源氏28歳10月-29歳冬) 帰京後、源氏は順調に政界に復帰し、栄耀の道を歩みはじめる。年変って、朱雀帝退位。実は源氏と藤壺の子でありながら東宮であった冷泉帝が即位する。秋、源氏は須磨明石の流浪を守護してくれた住吉明神に詣でる。明石の御方もたまたまこれに来合わせていたが再会はできなかった。また新帝即位により斎宮が交替し、六条御息所とその娘の斎宮が帰京。間もなく御息所は病死する。源氏は御息所の遺言にしたがって彼女を養女とし、冷泉帝に入内させて斎宮女御とする。澪標参照。
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