斎宮女御とは? わかりやすく解説

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さいぐう‐の‐にょうご【斎宮女御】

読み方:さいぐうのにょうご

[929〜985平安中期女流歌人三十六歌仙一人本名、徽子(きし)。斎宮務め、のち、村上天皇女御家集に「斎宮女御集」がある。承香殿女御


徽子女王

(斎宮女御 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:06 UTC 版)

徽子女王(きし(よしこ)じょおう、延長7年(929年) - 寛和元年(985年))は、平安時代中期の皇族歌人式部卿宮重明親王の第1王女醍醐天皇皇孫)。母は藤原忠平の次女・寛子朱雀天皇朝の伊勢斎宮、のち村上天皇女御。斎宮を退下の後に女御に召されたことから、斎宮女御(さいぐうのにょうご)と称され、また承香殿女御式部卿の女御とも称された。三十六歌仙および女房三十六歌仙の1人。




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