藤原興風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 16:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動藤原 興風(ふじわら の おきかぜ)は、平安時代前期の歌人・官人。藤原京家、参議・藤原浜成の曾孫。相模掾・藤原道成の子。官位は正六位上・下総大掾。三十六歌仙の一人。
経歴
昌泰3年(900年)父・道成と二代続けて相模掾に任ぜられる。治部少丞を挟んで、延喜4年(904年)上野権大掾、延喜14年(914年)上総権大掾と、主に地方官を歴任し、位階は正六位上に至る。
官位は低かったが『古今和歌集』の時代における代表的な歌人で、「寛平后宮歌合」「亭子院歌合」等の歌合への参加も多く見られる。『古今和歌集』(17首)以下の勅撰和歌集に38首が入集[1]。家集に『興風集』がある。管弦にも秀でていたという。
- 小倉百人一首
- 34番 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに(『古今和歌集』雑上909)
官歴
注記のないものは『古今和歌集目録』による。
- 昌泰3年(900年)正月11日:相模掾(銅院皇后宮当年給)
- 延喜2年(902年)2月23日:治部少丞
- 延喜4年(904年)正月25日:上野権大掾(上野大掾高階師尚相替)
- 延喜14年(914年)4月22日:下総大掾(清和院御給)
- 時期不詳:正六位上[2]
脚注
藤原興風と同じ種類の言葉
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