清原深養父とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 和歌 > 歌人 > 清原深養父の意味・解説 

きよはら‐の‐ふかやぶ【清原深養父】

読み方:きよはらのふかやぶ

平安前期歌人清原房則の子。元輔の祖父内蔵大允(たくみのだいじょう)。家集深養父集」があり、「古今集」「後撰集」に歌が収載される。生没年未詳


清原深養父

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/19 09:11 UTC 版)

 
清原 深養父
清原深養父(百人一首より)
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下内蔵大允
主君 醍醐天皇
氏族 清原氏
父母 父:清原房則
春光、重文
テンプレートを表示

清原 深養父(きよはら の ふかやぶ)は、平安時代中期の歌人貴族豊前介・清原房則の子。官位従五位下内蔵大允中古三十六歌仙の一人[1]

経歴

延喜8年(908年内匠少允延長元年(923年内蔵大允等を歴任、延長8年(930年従五位下に叙せられる。晩年は洛北・静原補陀落寺を建立し、隠棲したという。

勅撰歌人であり、『古今和歌集』(17首)以下の勅撰和歌集に41首が入集している[2][3][注釈 1]藤原兼輔紀貫之凡河内躬恒などの歌人と交流があった。家集に『深養父集』がある。の名手であり、『後撰集』には清原深養父が琴を弾くのを聴きながら、藤原兼輔と紀貫之が詠んだという歌が収められている。

  • 小倉百人一首
    • 36番 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ(『古今和歌集』夏166)

存命中は高い評価を受けていたが、藤原公任の『三十六人撰』(いわゆる三十六歌仙)に名をあげられなかったこともあって、この歌は平安末期まで秀歌の扱いを受けなかったようである。その後、藤原俊成藤原清輔らに再評価され中古三十六歌仙の一人に撰ばれた。

官歴

『中古歌仙三十六人伝』による。

系譜

  • 父:清原房則(または房則の父・海雄[4]、祖父・通雄(道雄)とする系図もある)
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:清原春光 - 元輔の父・清少納言の曽祖父または祖父。元輔を深養父の子とする系図もある。
    • 男子:清原重文 - 子孫に東北地方豪族出羽清原氏を繋げる系図もある[4]

脚注

注釈

  1. ^ 孫(一説に子)の清原元輔も歌人として名高い。

出典

  1. ^ 国立国会図書館. “百人一首の36首目の歌人、清原深養父にゆかりのエピソードや、史跡、場所などあればお教えいただけないで...”. レファレンス協同データベース. 2023年8月29日閲覧。
  2. ^ 『勅撰作者部類』
  3. ^ 五味(2014)p.50
  4. ^ a b 「清原系図」の一本(『続群書類従』巻第173所収)

参考文献

関連項目




清原深養父と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「清原深養父」の関連用語

清原深養父のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



清原深養父のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの清原深養父 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS