おの‐の‐たかむら〔をの‐〕【小野篁】
小野篁
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小野 篁(おのの たかむら、延暦21年〈802年〉- 仁寿2年12月22日〈853年2月3日〉)は、平安時代初期の公卿、文人。 参議・小野岑守の長男。官位は従三位、参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)。
- ^ 猪俣氏、人見氏の遠祖。
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本文徳天皇実録』仁寿2年12月22日条
- ^ a b 『続日本後紀』承和5年12月15日条
- ^ 『続日本後紀』承和8年閏9月19日条
- ^ 『北山抄』第10
- ^ 『勅撰作者部類』
- ^ “六道珍皇寺と小野篁の不思議な伝説”. 六道珍皇寺. 2017年7月29日閲覧。
- ^ “【江談抄】”. 国文学研究資料館. 2017年8月1日閲覧。
- ^ 金剛山矢田寺の中興の祖。滿米の前は滿慶(満慶)を名乗っていたとされる。
- ^ “元亨釈書 30巻. [6]”. 国立国会図書館. 2017年8月1日閲覧。
- ^ “大蔵会関連展示 御仏の救済―地獄と浄土―”. 京都国立博物館. 2017年8月5日閲覧。
- ^ “絹本著色矢田地蔵縁起”. 大和郡山市役所. 2017年8月5日閲覧。
- ^ “矢田地蔵縁起”. 奈良国立博物館. 2017年8月5日閲覧。
- ^ “矢田地蔵縁起絵巻”. 文化庁. 2017年8月5日閲覧。
- ^ “矢田寺(矢田地蔵尊)(駒札)”. 京都観光Navi(京都市産業観光局観光MICE推進室). 2017年7月29日閲覧。
- ^ “請求記号:ル04_01345_0008”. 早稲田大学. 2023年8月18日閲覧。
- ^ “生六道解説画像”. 国際日本文化センター. 2023年8月18日閲覧。
- ^ 福正寺に生の六道があったとされる伝承の成立年代は不明だが、『山州名跡志』(1711年刊行の地誌)[16]や『拾遺都名所図会』(1787年刊行の京都名所案内)[17]にも見られるため、少なくとも江戸時代には定着していたことが伺われる。
- ^ 高藤本人は知らなかったが、その衣服に百鬼夜行を退ける御利益のある尊勝陀羅尼を記した護符が縫い込んであることを見越した篁が、高藤に対して「謹んでお遇わせいたしました」と慇懃無礼に嘯く。この行為が高藤蘇生譚につながる。
- ^ 「悪なからば善からん」とも。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション - 宇治拾遺物語”. 国立国会図書館. 2017年8月16日閲覧。
- ^ “【江談抄】”. 国文学研究資料館. 2017年8月16日閲覧。
- ^ “【江談抄】”. 国文学研究資料館. 2017年8月16日閲覧。
- ^ “【江談抄】”. 国文学研究資料館. 2017年8月16日閲覧。
- ^ 丸森町 大張の史跡・名所の紹介 - 丸森町
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『公卿補任』
- ^ 『尊卑分脈』による。ただし、小野小町の出自には諸説があり、良真の実在も含めて正しい系譜は不明。小野小町の項目を参照。
- ^ 『小野氏系図』(『続群書類従』巻第166所収)では篁の弟とする。
- ^ a b 『小野氏系図』(『続群書類従』巻第166所収)
- ^ 『武蔵七党系図』
- ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』では、春日氏の一族で、摂津羽束部の伴造氏である羽束首の後裔とする。
- ^ 太田[1963: 505,6457]
- ^ 角田文衞『紫式部伝 —その生涯と「源氏物語」—』株式会社法藏館、2007年1月25日、243頁。
小野篁(おの の たかむら)
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