百鬼夜行
百鬼夜行とは、百鬼夜行の意味
百鬼夜行は、妖鬼・あやかし・物の怪・魑魅魍魎が群れをなして夜道を練り歩くという、伝説上・空想上・民間信仰上の怪異。転じて「得体の知れない者どもが徒党を組んで怪しいことをする」とか「悪人どもがこぞってやりたい放題する」といった状況を指す意味でも用いられる。百鬼夜行の語の由来・語源
「百鬼夜行」という言葉は、「鬼」などの言葉と同じく、平安時代の後期~末期には登場している。たとえば平安後期の読み物「江談抄」には「陰陽師弓削是雄於朱雀門遇神事、野篁并髙藤卿遇《百鬼夜行》事」という記述がある。「今昔物語集」には、見習い時代の若き安倍晴明が百鬼夜行との遭遇にいち早く気づき、師(賀茂忠行)に知らせたことで、辛くも難を逃れた、という話がある。ここでは百鬼夜行は「晴明見けるに、艶ず怖き鬼共、車の前に向て来けり」と叙述されており、「百鬼夜行」という言葉こそ登場しないものの、百鬼夜行を描写した記述として広く知られている。
百鬼夜行は「尊勝陀羅尼」を唱えることでやり過ごせる、とされる。尊勝陀羅尼は、厄除けの功徳があるとされる梵文である。
時代が下ると、百鬼夜行は絵巻物の題材として描かれるようになる。現存する最古の百鬼夜行図・百鬼夜行絵巻は「真珠庵本」と通称される室町時代の作である。
百鬼夜行の類語と使い分け方方
百鬼夜行の類語・類似表現としては、「魑魅魍魎が跋扈する」のような表現が挙げられよう。「魑魅魍魎」は、種々多様なバケモノのことである。「跋扈」は「魑魅魍魎」とよく一緒に用いられる語彙であり、「自在に飛び跳ねる」「思うがままに振る舞う」といった意味の動詞である。得体の知れない者ども、不気味極まりない怪奇たち、身の毛もよだつ恐怖の軍団、といった意味合いならば「魑魅魍魎」の他に「悪鬼羅刹」や「怨霊怪異」などの表現も挙げられる。ただし、いずれの表現も「夜行」に相当する(行為の)意味合いを含まない点で「百鬼夜行」とは異なる。
百鬼夜行の英語
百鬼夜行を英語で表現するならば、多少の意訳が含まれるが pandemonium(パンデモニウム)のような語が候補として挙げられる。pandemonium は「あらゆる悪魔のいるところ」という原義から転じて「大混乱」や「大騒動」「地獄絵図」などの意味用法をもつ語である。百鬼夜行
百鬼夜行
百鬼夜行
百鬼夜行
百鬼夜行
百鬼夜行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 07:07 UTC 版)

百鬼夜行(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)とは、日本の説話などに登場する深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れ、および、彼らの行進である。
概要
鬼や妖怪などが群れ歩いているとされており、「百鬼夜行に遭った」という表現などがとられることもある。経文を唱えることにより難を逃れた話や、読経しているうちに朝日が昇ったところで鬼たちが逃げたり、いなくなったりする話が一般的で、仏の功徳を説く説話でもある。平安時代から室町時代にかけ、おもに説話に登場しており、多くの人数が音をたてながら火をともしてくる様子、さまざまな姿かたちの鬼が歩いている様子などが描写されており、これに遭遇することが恐れられていた[1]。
『口遊』(10世紀)や鎌倉時代から室町時代にかけて編まれた類書のひとつ『拾芥抄』には、暦のうえで百鬼夜行が出現する「百鬼夜行日」であるとして以下の日が挙げられており、「子子午午巳巳戌戌未未辰辰」と各月における該当日の十二支が示されている。
- 1月・2月 - 子(ね)日
- 3月・4月 - 午(うま)日
- 5月・6月 - 巳(み)日
- 7月・8月 - 戌(いぬ)日
- 9月・10月 - 未(ひつじ)日
- 11月・12月 - 辰(たつ)日
百鬼夜行に出遭うと死んでしまうといわれていたため、これらの日に貴族などは夜の外出を控えたといわれている。また「カタシハヤ、エカセニクリニ、タ(く)メルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコ[えひ]ニケリ」と呪文を唱えると、百鬼夜行の害を避けられるという[2]。『口遊』や『袋草紙』(12世紀)などでも既に同様の歌は記されており「かたしはや えかせにくりに くめるさけ てえひあしえひ われえひにけり」などとある。これらは「自分は酒に酔った者である」(手酔い足酔いわれ酔いにけり)といった内容を詠み込んでいる歌である。または「難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり」などと解釈されている。また山脇道円『増補下学集』など、百鬼夜行日は節分(現在の太陽暦でいえば大晦日)であると記している文献も存在する[3][4]。
百鬼夜行の登場する説話
日本の説話集などに記述がみられる。以下はそのうちの主だったものである。
- 今昔物語集
- 「尊勝陀羅尼の験力によりて鬼の難を遁るる事」(巻14の42)
- 貞観年間(859~877)、右大臣藤原良相の長男、大納言左大将藤原常行が愛人のもとへ行く途中、美福門周辺で東大宮大路の方から歩いてくる100人ほどの鬼の集団に遭遇。常行の乳母が阿闍梨に書いてもらった尊勝仏頂陀羅尼(尊勝陀羅尼)を縫いこんであった服を着ていたので、これに気がついた鬼たちは逃げていった。
- 「安倍晴明随忠行習道語(安倍晴明、忠行に随ひて道を習ふ語)」(巻24の16)
- 江談抄
- 「小野篁并高藤卿遇百鬼夜行事(小野篁ならびに高藤卿、百鬼夜行に遇ふ事)」(3の38)
- 宇治拾遺物語
- 「修行者百鬼夜行にあふ事」
-
- 「一条桟布屋鬼の事」
- 「諸行無常」と詠じながら一条大路を通った馬頭の鬼の話。「百鬼夜行にてあるやらんとおそろしかりける」と本文に記されてある。
- 沙石集(巻5)
昔話としても知られているこぶとりじいさんの話に登場する鬼たちも、『宇治拾遺物語』[6]では様々な様相の鬼たち百人ばかりが火をともしてがやがやと出現する場面が描写されている。
慣用句
鬼や妖怪の徘徊することを示すことから、転じて「人目に立たぬところで悪人たちがはびこり、勝手気ままに悪事をはたらくこと」「多くの人間があやしいおこないをしているさま」を「百鬼夜行」と表現したりもする。
魔物たちが集うという点から、 高橋五郎訳『ファウスト』(1904年)では「ワルプルギスの夜」の訳語として「百鬼夜行」が場面名に添えて用いられたりもしている。
百鬼夜行を描いた主な絵画作品等

- 百鬼夜行絵巻(室町時代~)
- 付喪神絵巻(室町時代~)
- 題名に使用はされていないが、描かれている妖怪たちの行列の光景が「百鬼夜行」を踏まえたものであるなどとされることが多い。詳しくは同項目を参照。
- 『画図百鬼夜行』(鳥山石燕、江戸時代)
- 『百鬼夜講化物語』(古狼野干?、江戸時代)
- 『暁斎百鬼画談』(河鍋暁斎、明治時代)
- 妖怪を描いた版本。上記の百鬼夜行絵巻を参考に描かれたものも多く含まれている。
脚注
- ^ 田中貴子 『百鬼夜行の見える都市』 新曜社、1994年、43-53頁。ISBN 4-7885-0480-4。
- ^ 村上健司編著 『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、288-289頁。ISBN 4-620-31428-5。
- ^ 田中貴子 『百鬼夜行の見える都市』 新曜社、1994年、100-104頁。ISBN 4-7885-0480-4。
- ^ 『続群書類従』 第32輯上 雑部 続群書類従完成会 1926年 63頁(夜行途中歌)75頁(百鬼夜行日)
- ^ “【江談抄】”. 国文学研究資料館. 2017年8月5日閲覧。
- ^ 渡辺綱也 校訂『宇治拾遺物語』上 岩波文庫 1951年 21-25頁 「鬼に癭(こぶ)とらるる事」
関連項目
百鬼夜行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 02:13 UTC 版)
「サンタマリア (米津玄師の曲)」の記事における「百鬼夜行」の解説
「diorama」の次にリリースしようと思って作った曲だが、しっくりこなかったために一度凍結して「サンタマリア」を作った。この曲は発売以前にも自身のUSTREAMチャンネルで弾き語りしていた。
※この「百鬼夜行」の解説は、「サンタマリア (米津玄師の曲)」の解説の一部です。
「百鬼夜行」を含む「サンタマリア (米津玄師の曲)」の記事については、「サンタマリア (米津玄師の曲)」の概要を参照ください。
- 百鬼夜行のページへのリンク