春日氏とは? わかりやすく解説

春日氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 03:43 UTC 版)

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春日氏(かすがうじ、かすがし)は、「春日」をの名とする氏族

和珥氏族(春日臣)

春日氏
(和珥氏族)
氏姓 春日
種別 皇別
本貫 大和国添上郡春日[1]
後裔 大宅氏
小野朝臣
粟田氏
柿本氏
布留氏社家) など
凡例 / Category:氏

孝昭天皇皇子天足彦国押人命を祖とする和珥氏(和珥臣)の支族。は臣。和珥氏一族の一部が大和国添上郡の春日に移住し、その地名を姓として名乗る[1]。春日姓を称し始めた時期は明らかでないが、雄略朝以降と考えられている[2]。なお、枕詞として「ハルヒ(春日)のカスガ」[3]という言い回しがあり、転じて「かすが」に「春日」の漢字を当てるようになったとされる[2]

和珥童女君(春日和珥臣深目の娘:雄略妃)[1]、糠君娘(和珥臣日爪の娘:仁賢妃)、荑媛(和珥臣河内の娘:継体妃)と、多数の后妃を輩出し、天皇外戚として勢力を持った。その後、嫡流は大春日氏を称し、ほかに大宅氏・小野氏粟田氏・柿本氏の諸氏が分立する。

7世紀初頭になると、春日氏の位置は蘇我氏阿倍氏大伴氏の下に置かれるが、古来の名門豪族として朝廷内では重んじられた。天武天皇13年(684年)の八色の姓制定にあたって、52氏が朝臣姓を賜与されたが、大三輪氏に次いで春日氏嫡流の大春日氏が挙げられている。

敏達天皇後裔(春日真人)

春日氏
(敏達天皇後裔)
氏姓 春日真人
氏祖 田部王
敏達天皇の第2皇子春日皇子後裔)[1]
種別 皇別
本貫 大和国
凡例 / Category:氏

敏達天皇皇子春日皇子の後裔である田部王が、天平勝宝3年(751年)に臣籍降下し春日真人姓を賜与されている[1]

滋野姓禰津氏流

禰津氏の庶流で、禰津宗直の子・春日小次郎貞親を祖とする。貞親は、奥州合戦源頼朝に従い、建久元年(1190年)の頼朝上洛の際にも随兵として名が見える。承久の乱では、春日刑部三郎貞幸、春日刑部二郎太郎、春日小三郎が鎌倉幕府方で参戦している。

甲斐武田家の春日氏

春日虎綱百姓春日大隅の子として生まれる。武田信玄に取り立てられ、高坂氏の娘を室にし、高坂弾正と呼ばれた。

脚注

  1. ^ a b c d e 太田 1934, p. 1483.
  2. ^ a b 太田 1963.
  3. ^ 日本書紀』武烈紀

参考文献

参考史料

日本書紀

関連項目





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