周防内侍とは? わかりやすく解説

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すおう‐の‐ないし〔すはう‐〕【周防内侍】

読み方:すおうのないし

[?〜1110ころ]平安後期女流歌人周防平棟仲娘。名は仲子後冷泉(ごれいぜい)・後三条白河堀河の4天皇女官として仕えた後拾遺集以下の勅撰集35首が入集家集に「周防内侍集」がある。


周防内侍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 14:48 UTC 版)

周防内侍(すおうのないし、1037年長暦元年)頃 - 1109年天仁2年)以後 1111年天永2年)以前)は、平安時代後期の歌人である。女房三十六歌仙の一人。本名は平 仲子(たいら の ちゅうし)。掌侍正五位下に至る。父は「和歌六人党」の一人、桓武平氏周防守従五位上平棟仲。母は加賀守従五位下源正職の女で、後冷泉院女房となり小馬内侍[1]と呼ばれた者だという。


注釈

  1. ^ まだその家は、のこりて、その哥も侍るなり。みたる人のかたり侍りしは、いとあはれにゆかしく、その家は、かみわたりに、いづことかや。冷泉ほりかはのにしと北とのすみなるところとぞ人は申しし。おはしまして御らんずべきぞかし。(J-TEXTS 日本文学電子図書館[リンク切れ] 『今鏡読本』 巻十
  2. ^ ほどなく院、かくれおはしまして後にぞ、哥よみの内侍は、久しくありて、かくれはべりにし。かやうの事は、よしなき事なれども、これらを御覧じて、御心つかせ給ん料也。人にみせさせ給まじきなり。(『俊頼髄脳』)
  3. ^ 『女郎花物語』 万治4年(1661年)刊、『本朝女鑑寛文元年(1661年)刊、『百人一首一夕語』 天保4年(1833年)刊等(鳥居(参考文献))。
  4. ^ 『名女情比』 延宝9年(1681年)刊、『本朝美人鑑』 貞享4年(1687年)刊等(鳥居(参考文献))。

出典

  1. ^ 『後拾遺集勘物』
  2. ^ 『後拾遺和歌集』 第十 哀傷 00562
  3. ^ 『後拾遺和歌集』 第十五 雑一 00889
  4. ^ 『金葉和歌集』 巻第九 雑部上 00629
  5. ^ 『今鏡読本』 第十 敷島の打聞
  6. ^ 『無名秘抄』 群書類従 巻第二百九十四
  7. ^ 今物語』 三九 群書類従 第四百八十三
  8. ^ 『山家集』 巻中 雑 00799
  9. ^ 『金葉和歌集』 巻第八 恋歌下 00464
  10. ^ Villa(参考文献)
  11. ^ 野村(参考文献)
  12. ^ 『千載和歌集』 巻第十六 雑歌上 00962


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