堀河院中宮上総とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 堀河院中宮上総の意味・解説 

堀河院中宮上総

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/05 03:40 UTC 版)

堀河院中宮上総(ほりかわのいんのちゅうぐうのかずさ、生没年不詳)は、平安時代後期の歌人である。

経歴

出自をはじめ伝記情報に乏しいが、幼い頃、親と共に東国に下向したことがある[1]。帰京後、篤子内親王後三条天皇皇女・堀河天皇中宮)に出仕。源俊頼藤原俊忠周防内侍らと親交があった[2]。堀河天皇の内裏歌壇及び鳥羽天皇在位時の各種歌合、『金葉和歌集』以降の勅撰集私家集[* 1]等に作品を残している。

逸話

  いときなく侍し時 親にくしてあつまに下けるに 三河の八橋といふ所にてよみ侍ける 堀河院中宮上総
八橋を 行人ことに とひみはや くもてに誰を 恋わたるそと

新続古今和歌集』 巻第十 羇旅歌

歌枕[* 2]を意識して恋の歌を詠んでおり、少女時代から和歌に関する知識・素養があったことがわかる。
  • 内裏に積った雪で山を作ったという話を聞きつけた周防内侍に対し、

  堀川院位におはしましける時 南殿の北面に雪の山つくらせ給よしを聞て
  内なる人に申つかはしける                       周防内侍
行てみぬ 心のほとを 思ひやれ みやこのうちの こしのしら山
  返し                                      中宮上総
来てもみよ 関守すへぬ 道なれは 大うち山に つもるしら雪

新後拾遺和歌集』 巻第八 雑秋歌

別に咎められないと思うから見にきたらいいじゃないと戯れている[2]

作品

勅撰集
歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数 歌集名 作者名表記 歌数
後拾遺和歌集 金葉和歌集 前中宮上総  2 詞花和歌集
千載和歌集 新古今和歌集 新勅撰和歌集 堀河院中宮上総  2
続後撰和歌集 堀河院中宮上総  2 続古今和歌集 堀川院中宮上総
中宮上総
 1
 1
続拾遺和歌集 堀河院中宮上総  2
新後撰和歌集 玉葉和歌集 続千載和歌集
続後拾遺和歌集 堀河院中宮上総  1 風雅和歌集 新千載和歌集 堀河院中宮上総  1
新拾遺和歌集 堀河院中宮上総  1 新後拾遺和歌集 中宮上総  1 新続古今和歌集 堀河院中宮上総  1
定数歌歌合
名称 時期 作者名表記 備考
中宮権大夫能実歌合 1096年永長元年)
備中守仲実女子根合 1100年康和2年)
堀河院艶書合[* 3] 1102年康和4年)
俊忠家歌合 1104年長治元年)
雲居寺結縁後宴歌合 1116年永久4年)
内大臣忠通歌合 1117年永久5年)
権僧正永縁奈良房歌合 1124年天治元年)頃
私家集
  • 中宮上総集(残欠)(彰考館蔵)

脚注

注釈

  1. ^ 万代和歌集(衣笠家良撰か)、雲葉和歌集(九条基家撰)等。
  2. ^ 三河の国 八橋といふ所にいたりぬ そこを八橋といひけるは 水ゆく河の蜘蛛手なれば 橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける(『伊勢物語』 第九段 東下り)
  3. ^ 歌合の一種で、左右の組に分かれ、恋文や恋歌を作り合って優劣を競う遊び。

出典

  1. ^ a b 新続古今和歌集』 巻第十 羇旅歌 00978
  2. ^ a b 新後拾遺和歌集』 巻第八 雑秋歌00829,00830

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「堀河院中宮上総」の関連用語

1
4% |||||

堀河院中宮上総のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



堀河院中宮上総のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの堀河院中宮上総 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS