藤原俊忠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 作家 > 歌人 > 平安時代の歌人 > 藤原俊忠の意味・解説 

藤原俊忠

読み方ふじわらの としただ

平安末期歌人権大納言藤原忠家の子道長曾孫従三位権中納言大宰権帥和歌は『金葉集』以下の勅撰集二九選入されており、家集に『権中納言俊忠卿集』がある。父忠家と共に歌会歌合多く催した。俊忠は俊成の父、定家祖父であり、古筆能書家として尊敬された。保安4年(1123)歿、53才。

藤原俊忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/21 15:24 UTC 版)

 
藤原 俊忠
時代 平安時代後期
生誕 延久5年(1073年
死没 保安4年7月9日1123年8月2日
別名 二条中納言、冷泉中納言
官位 従三位権中納言
主君 堀河天皇鳥羽天皇
氏族 藤原北家御子左流
父母 父:藤原忠家、母:藤原経輔の娘[1]
兄弟 基忠俊忠、顕良、忠実、忠円、祐覚、加藤正家
藤原敦家の娘
忠成公長、忠定、俊成、俊定、快修、禅智、仁助、寛豪、尊忠、 晴忠、頼俊、頼仁、禅寿、仁証、寛叡、 俊海忠海、 藤原豪子、藤原伊通室、藤原師綱室、藤原俊子、藤原光房室、 藤原忠子、 藤原顕頼室、藤原知通室
テンプレートを表示

藤原 俊忠(ふじわら の としただ)は、平安時代後期の公卿歌人藤原北家御子左流、大納言藤原忠家の次男。従三位・権中納言。二条を号す。

経歴

応徳3年(1086年)、侍従に叙爵。嘉承元年(1106年)3月、蔵人頭左中将、同年12月に参議に任ず。永久2年(1114年)に従三位となり、保安3年(1122年)に権中納言に至る。

堀河朝において歌人として活躍し、源俊頼藤原基俊といった同時代の歌人と親交があった。長治元年(1104年)には自邸で「左近権中将俊忠朝臣家歌合」を開催し、これらの歌人を招いている。家集として『俊忠集』を残している。『金葉和歌集』(二度本)の3首をはじめとして、以降の勅撰和歌集に29首が入集している。

清廉であり、参議のまま16年の歳月を経て権中納言になった時にも、私的な懇願などは一切行わなかった。このことについて『古事談』は、懇願の末に権中納言に昇進した源顕雅の例と対比して、「消息を書かざる人の卿相に昇る事は、俊忠卿より始まる」と賛辞を贈っている。

系譜

脚注

  1. ^ a b 公卿補任』、『今鏡』(第6 237段)、『中右記
  2. ^ a b 尊卑分脈

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原俊忠」の関連用語

藤原俊忠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原俊忠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原俊忠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS