しきし‐ないしんのう〔‐ナイシンワウ〕【式子内親王】
読み方:しきしないしんのう
[?〜1201]平安末期・鎌倉初期の女流歌人。後白河天皇の第3皇女。名は「しょくし」とも。賀茂の斎院になり、のち出家。和歌を藤原俊成に学んだ。新古今集に49首入集。家集「式子内親王集」。
しょくし‐ないしんのう〔‐ナイシンワウ〕【式子内親王】
読み方:しょくしないしんのう
⇒しきしないしんのう(式子内親王)
しきしないしんのう 【式子内親王】
式子内親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/06 14:04 UTC 版)
式子内親王(しょくし/しきし(のりこ)ないしんのう)[* 3]、久安5年(1149年)[* 1] - 建仁元年1月25日(1201年3月1日)[* 2])は、日本の皇族。賀茂斎院。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女。母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母弟にあたる。萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。法号承如法[1]。
- 1 式子内親王とは
- 2 式子内親王の概要
式子内親王と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 式子内親王のページへのリンク