式守与太夫 (8代)とは? わかりやすく解説

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式守与太夫 (8代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 03:24 UTC 版)

8代式守与太夫
8th Shikimori Yodayū
基礎情報
行司名 式守要人 → 式守喜三郎 → 式守要人 → 式守喜三郎 → 8代式守与太夫
本名 いとう きさぶろう
 伊藤 喜三郎
生年月日 (1892-07-06) 1892年7月6日
没年月日 ????????[1]
出身 日本東京都
所属部屋 伊勢ノ海部屋錦島部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 三役格
初土俵 1902年春場所
幕内格 1918年夏場所
三役格 1939年春場所
引退 1959年11月
備考

8代式守与太夫(はちだい しきもり よだゆう、1892年7月6日 - ?[1] )は、大相撲の元三役行司。三役格としての在位期間は1939年1月~1959年11月。本名、伊藤喜三郎。

人物

東京生まれで本所の銭湯要湯の三男。伊勢ノ海部屋錦島部屋所属。式守要人で初土俵。1902年1月番付行司欄に載る。のち式守喜三郎と改める。1913年春場所から1915年春場所まで兵役のためか番付から消える。1915年時点では青白房(十両格)であった。1918年夏場所2日目に本足袋(幕内格)に昇格。1919年春場所、式守要人に改名。1929年春場所、式守喜三郎と改める。1936年5月式守与太夫を襲名。

1939年1月三役格に昇進。以来20年間三役格行司で在位し続けたが草履をはくことはできず、立行司にも昇進できなかった。

1959年11月限り行司に定年制度が実施されることになり、67歳で定年退職。1960年1月他の引退する4名の行司と引退相撲を行う。しばらく健在だったようだがその後の消息は不明。

略歴

関連項目

脚注

  1. ^ a b 13代木村庄太郎、8代式守与太夫の没年を知りたい。”. 国立国会図書館. 2023年12月6日閲覧。



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