別府観海寺温泉の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 04:56 UTC 版)
大分県別府市観海寺には、式子内親王が同地で葬られたとの口承がある。橘兼仲の託宣事件に連座して都を追われた内親王は、領主・大友能直の内室風早禅尼が中興した尼寺観海寺において、尼宮承如法として晩年を過ごし、没後同地で荼毘に付されたとする。同地に建つ現観海禅寺には式子内親王の墓、その西南の山中には、風早禅尼が内親王を荼毘にふした塚と称する遺跡もあり、観光コースにも取り入れられている。記録上、京都での病死が確実視される式子内親王が、別府で晩年を過ごしたことは、史実としてはあり得ないが、託宣事件の処理に関連して、内親王や他の関係者の追放先として同地が検討の対象となった可能性を指摘する見解もある。
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