女官として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/19 17:32 UTC 版)
洽子は清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五代の天皇に仕えた。初名を高子といったが、元慶元(877年)2月に陽成天皇が母后藤原高子の名に触れる女官たちに改名を命じたため高子から洽子に改める。同年11月正五位下。仁和3年(889年)に従四位下掌侍に進む。そののちに典侍となり尚侍藤原淑子の下で、光孝天皇の崩御の際には鈴印供奉の大役を務めている。寛平8年(896年)に従四位上。延喜2年(902年)に従三位の高位を賜った。特に、宇多天皇からの信任厚く、「寛平御遺誡」には糸所に出仕中の洽子への高い評価が記されている。醍醐天皇の受禅の際には剣璽使の大役を果たした。
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