しょう‐じ〔シヤウ‐〕【尚侍】
ないし‐の‐かみ【尚=侍】
尚侍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 22:42 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動尚侍(ないしのかみ/しょうじ)とは、日本の律令制における官職で、内侍司の長官(かみ)を務めた女官の官名。
概要
准位は従五位のち従三位。定員は2名。多くは摂関家などの有力な家の妻や娘から選任された。天皇に側仕えし、臣下が天皇に対して提出する文書を取り次いだり、天皇の命令を臣下に伝えること(内侍宣)などをした。もともと、これらの職掌は尚侍のみのものであって、典侍以下が扱うことはできなかった。奈良時代から平安時代前期には尚蔵を兼ねることもあった。
記録上に残る最古の尚侍は、奈良時代における藤原房前の娘で藤原仲麻呂の妻となっていた藤原宇比良古である。また、藤原種継の娘で藤原縄主の妻となっていた藤原薬子が平城天皇の寵愛を受けて権勢を振るったことは知られている。
10世紀末頃から女御・更衣に準じて後宮に列するようになり、実際の女官としての業務は典侍以下が担ったと思われる。また、藤原威子(後一条天皇中宮)のように、東宮妃・后妃となる前に箔付けのために尚侍となった例もある。後二条天皇代の尚侍一条頊子は天皇崩御後、万秋門院の女院号を授与された。
平安時代後期から尚侍はほとんど任命されなくなり、室町時代以降の中世後期には任命の例は無くなった。その後、明治時代の女官制度改革によって宮中女官の最高の官名とされたが、実際に任命された例はない。大正時代末期に摂政宮(昭和天皇)の女官制度改革によって、その職名も廃止されるに至った。
関連項目
尚侍(ないしのかみ・しょうじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/14 14:30 UTC 版)
「内侍司」の記事における「尚侍(ないしのかみ・しょうじ)」の解説
四等官における内侍司の長官(カミ)に相当する。准位(男性官人の官位相当に相当する)は従五位のち従三位。定員は2名。多く摂関家の娘が選任された。元来、奏請・伝宣の職掌は尚侍のみのものであり、典侍以下が扱うことはできなかった。10世紀末頃から皇妃に準ずる扱いとなり、実際の女官としての業務は典侍以下が担ったと考えられる。平安時代後期から鎌倉時代ごろになると、尚侍は任命されなくなった。
※この「尚侍(ないしのかみ・しょうじ)」の解説は、「内侍司」の解説の一部です。
「尚侍(ないしのかみ・しょうじ)」を含む「内侍司」の記事については、「内侍司」の概要を参照ください。
「尚侍」の例文・使い方・用例・文例
尚侍と同じ種類の言葉
- >> 「尚侍」を含む用語の索引
- 尚侍のページへのリンク