寛平御遺誡とは? わかりやすく解説

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かんぴょうのごゆいかい〔クワンピヤウのゴユイカイ〕【寛平御遺誡】

読み方:かんぴょうのごゆいかい

寛平9年(897)宇多天皇譲位の際、幼少醍醐天皇与えた教訓書。1巻公事儀式任官叙位あり方天皇日常作法などを説く


寛平御遺誡

主名称: 寛平御遺誡
指定番号 2471
枝番 00
指定年月日 1992.06.22(平成4.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 寛元三年四月十一日日光国書写校合奥書
員数 1巻
時代区分 鎌倉
年代 1245
検索年代
解説文:  『寛平御遺誡』は、寛平九年(八九七)に宇多天皇幼少醍醐天皇譲位するにあたり天皇としての心得書き与えた訓戒書である。内容日常所作任官叙位公事儀式等のことから藤原時平菅原道真具体的な廷臣人物評及んでいる。個人的な訓戒書であるが、『源氏物語』政事要略』などの諸書引用され、のちには天皇必見の書、摂関蔵人も常に参照すべき書とされた。現在、全文は伝わらず、その逸文諸書にみえている。
 本巻は、その鎌倉時代遡る唯一のまとまった古写本として著名なのである体裁巻子装だが、料紙には半十行袋綴用に淡墨界を施した楮紙転用している。本文一紙二四行、一行二〇二二前後端麗な筆致をもって書写している。内容は、首を欠き「供朝膳、申時」(「巳時供朝膳、申時供夕膳」という食事時刻に関する条の一部)から巻末跋文まで、およそ十九条分を存し巻末には左の奥書がある。
「本云
 承安二年十一月七日納言殿御本書取了、
 日向守定長
 寛元三年四月十一日加一校了、以中宮権大進俊兼本書写之、
 春宮権大進光国
 この奥書によって、本巻寛元三年一二四五)に日野光国一二〇六-七〇)が中宮権大進藤原俊兼本により書写校合したもので、その俊兼本は承安二年(一一七二)に日向守藤原定長納言殿(未詳藤原資長か)の本を書写したものであることが判明する
 『寛平御遺誡』は天皇訓戒書として最古のもので、群書類従などに収められ流布しているが、その現存諸本はすべて、この日野光国書写本系統本である。本巻諸本祖本にあたり平安時代政治文化史上に貴重な史料である。

寛平御遺誡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 02:47 UTC 版)

寛平御遺誡(かんぴょうのごゆいかい)とは、寛平9年7月3日897年8月4日)に宇多天皇醍醐天皇への譲位に際して当時13歳の新帝に与えた書置。


  1. ^ 坂上康俊『律令国家の転換と「日本」 日本の歴史05』、講談社講談社学術文庫〉、2009年、131-132頁、ISBN 978-4062919050


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