寛延二年大洪水とは? わかりやすく解説

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寛延二年大洪水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 05:18 UTC 版)

寛延二年大洪水(かんえんにねんだいこうずい)は、1749年8月13日寛延2年7月3日[1][2])に播磨国(現在の兵庫県姫路市)の船場川で起きた水害[3]。「寛延2年の水害」「播磨大水」とも称される[要出典]

豪雨で増水した船場川の市川取水口が決壊、家屋流失161戸、被害田畑583町[1]、溺死者402人を記録し[3]、特に船場地区は302人の死者を出した[4]

後に建立された菩提碑・供養碑としては、四郷町の「溺死者菩提碑」(1755年(宝暦5年)建立)[5]法華寺(五軒邸1丁目)の供養塔[6]見星寺(材木町)の菩提碑(1773年(安永2年)建立)[4]がある。

脚注

  1. ^ a b 山本 2007, p. 124.
  2. ^ 市川のほとり 2007年 Vol.1 (PDF) - 兵庫県中播磨県民センター 姫路土木事務所 河川砂防課
  3. ^ a b 現在までに語り継がれる『災害』について (PDF) - 総務省消防庁(p.104を参照)
  4. ^ a b 文化財見学シリーズ20 『城東地区』を訪ねて (PDF) - 姫路市教育委員会(初出は1988年)
  5. ^ 文化財見学シリーズ31 『四郷町』を訪ねて (PDF) - 姫路市教育委員会(初出は1993年)
  6. ^ 文化財見学シリーズ24 『城東地区』を訪ねて (PDF) - 姫路市教育委員会(初出は1990年)

関連文献

  • 橋本政次『姫路城史』中巻 姫路城史刊行委員会、1952年(1994年、臨川書店より復刻)
  • 姫路市教育委員会(編)『姫路の文化財』第2巻 姫路市教育委員会、2002年
  • 姫路市教育委員会(編)『石造遺品銘文集』姫路市教育委員会、1995年
  • 『姫路城下浸水被害図』姫路市文化財保護協会、2003年(1749年作成の模造品[1]

参考文献

  1. ^ 山本 2007.



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