見星寺_(姫路市)とは? わかりやすく解説

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見星寺 (姫路市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 06:05 UTC 版)

見星寺
所在地 兵庫県姫路市材木町32
位置 北緯34度50分16.9秒 東経134度41分09.4秒 / 北緯34.838028度 東経134.685944度 / 34.838028; 134.685944座標: 北緯34度50分16.9秒 東経134度41分09.4秒 / 北緯34.838028度 東経134.685944度 / 34.838028; 134.685944
山号 正覚山
宗派 臨済宗妙心寺派
創建年 江戸時代初期
開基 本多政朝
法人番号 1140005013949
見星寺
見星寺 (兵庫県)
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見星寺(けんしょうじ)は、兵庫県姫路市材木町にある、臨済宗妙心寺派の寺院(尼寺)[1][2]。山号は正覚山[3]

解説

姫路市の「城西地区」に所在する。姫路藩主・本多政朝(藩主在任:1631年 - 1638年)が、祖母である見星院徳川信康の正室・徳姫。1636年没)の菩提を弔うために創建したとされる[1][注釈 1]

裏手の墓所には、鉄牛和尚(塙団右衛門[注釈 2]の供養塔(卵塔[2]や、本多忠政・政朝父子の五輪塔がある[2]。また、境内には寛延2年(1749年)に発生した船場川の洪水(寛延二年大洪水)の23回忌法要が安永2年(1773年)に営まれた際に建立された供養塔がある[2]

脚注

注釈

  1. ^ 徳川信康と徳姫の二女・熊姫(妙高院)が本多忠政に嫁いでおり、徳姫は政朝の母方の祖母にあたる[1]。なお、政朝の父方の祖母(本多忠勝夫人・於久の方。1613年没)の法号も見星院という。
  2. ^ 塙団右衛門は妙心寺で入道し、鉄牛と称した。

出典

  1. ^ a b c 城下町の面影と出会う船場川西岸の「船場・城西」地区”. 姫路フィルムコミッション (2017年3月). 2022年9月14日閲覧。
  2. ^ a b c d 見星寺”. 姫路市Webマップ. 2022年9月14日閲覧。
  3. ^ 細川晋輔 2016, p. 63.

参考文献

  • 細川晋輔「盤珪の法嗣、節外祖貞禅師の行履 : 光林寺旧蔵『光林二世特賜大慈妙應禅師年譜』を中心にして」『臨済宗妙心寺派教学研究紀要』第14号、2016年。 NAID 120006405881 



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