行尊とは? わかりやすく解説

ぎょうそん〔ギヤウソン〕【行尊】

読み方:ぎょうそん

[1057〜1135]平安後期天台宗の僧。源基平(みなもとのもとひら)の子諸国行脚(あんぎゃ)。祈祷(きとう)に優れ天台座主(ざす)となった和歌にもすぐれ、金葉集新古今集などに入集平等院大僧正


行尊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 10:15 UTC 版)

行尊

行尊(ぎょうそん、天喜3年(1055年)- 長承4年2月5日1135年3月21日))は、平安時代後期の天台宗僧侶歌人平等院大僧正とも呼ばれる。

生涯と業績

父は参議源基平園城寺(三井寺)の明尊の下で出家、頼豪から密教を学び、覚円から灌頂を受けた。1070年(延久2年)頃より[1]大峰山葛城山熊野などで修行[2]し、修験者として知られた。

1116年(永久4年)、2代熊野三山検校に補任[3]。熊野と大峰を結ぶ峰入りの作法としての順峰(熊野本宮から大峰・吉野へ抜ける行程)選定をおこなったという。1107年(嘉承2年)5月法眼に叙せられる[4]。また、同年12月鳥羽天皇即位に伴いその護持僧となり、加持祈祷によりしばしば霊験を現し[5]公家の崇敬も篤かった。のちに、園城寺の長吏に任じられ、1123年(保安4年)には天台座主となったが、延暦寺園城寺との対立により6日で辞任している。1125年(天治2年)大僧正。崇福寺・円勝寺・天王寺(四天王寺)など諸寺の別当を歴任[6]する一方、衰退した園城寺を復興した。

なお、鎌倉時代に編纂されたと推定される『寺門高僧記』に収められた行尊の「観音霊所三十三所巡礼記」は西国三十三所巡礼の確かな初見史料として高く評価されている。

歌人としても有名で、作品が小倉百人一首にも収録されている。また、『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集に48首入首。歌集に『行尊大僧正集』がある。

  • 小倉百人一首
    • 66番 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし (『金葉和歌集』雑521[7]

また、能筆であったという話も伝わっている[8]

脚注

  1. ^ 『行尊大僧正集』
  2. ^ 古今著聞集』『元亨釈書』『寺門伝記補録』
  3. ^ 「熊野三山検校次第」による。
  4. ^ 「寺門直叙法眼是為初」『寺門伝記補録』
  5. ^ 藤原璋子が鳥羽天皇に入内する際に取り憑いた物の怪を調伏(『今鏡』307段)、鳥羽天皇の皇子君仁親王が生後まもなく呼吸停止した所を蘇生(『今鏡』261段)。
  6. ^ 典拠は、順番に「僧綱補任」、『中右記』『長秋記』、「僧綱補任」「彰考館本僧綱補任裏書」「天王寺別当次第」『一代要記』などによる。
  7. ^ この作品は『古来風体抄』『八代集秀逸』にも採録されている。
  8. ^ 今鏡』307段、『寺門高僧伝』行尊伝

参考文献

川崎剛志「行尊年譜」(『就実語文』26号所収、2005年)

関連項目




行尊と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「行尊」の関連用語

行尊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



行尊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの行尊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS