頼豪とは? わかりやすく解説

らいごう〔ライガウ〕【頼豪】


らいごう 【頼豪】

平安時代天台宗僧。京都藤原有家の子園城寺学び法力をもって知られた。白河天皇の命で皇子誕生祈って効験があったので、園城寺内に戒壇設立望んだが、延暦寺遠慮して勅許下りないため、怒って断食して死に皇子病死したという。頼豪の怨霊数千匹の鼠になり、延暦寺教典食い破ったとの俗説がある。(一〇〇四~八四)

頼豪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/17 15:01 UTC 版)

鉄鼠伝説を絵画にしたもの。月岡芳年「新形三十六怪撰・三井寺頼豪阿闍利悪念鼠と変ずる図」(1891)

頼豪(らいごう、長保4年(1002年) - 応徳元年(1084年))は、平安時代中期の天台宗。父は伊賀藤原有家

経歴

園城寺(三井寺)の心誉に師事し、円行から法を受け、実相院に住した。

修法の効験で知られ、承保元年(1074年)に白河天皇の皇子誕生を祈願し敦文親王が誕生したことから、園城寺戒壇創設を天皇に請うたが、園城寺と対立していた延暦寺の反対により実現しなかった。その後怨念を抱いて断食して命を絶った。

伝説

頼豪は死後、怨霊となってネズミ鉄鼠となって延暦寺の経典を食い破ったという。この話は『平家物語』『太平記』に載せられた伝説である。

敦文親王は4歳で頼豪の祟りによって薨去したとされる。ただし実際は、親王は頼豪より前の承保4年(1077年)に薨去している。

園城寺には頼豪が化けたネズミ・鉄鼠を祀る十八明神社(ねずみの宮)があり、日吉大社にはその鉄鼠を封じ込めたものであるという鼠社がある。

創作

  • 山東京伝の読本『昔話稲妻表紙』(1806) には「頼豪院」として登場する。
  • 曲亭馬琴の読本『頼豪阿闍梨恠鼠伝』(1808) に登場し、実際は同時代人ではないが木曽義高に鼠の妖術を伝授する。

参考文献

関連項目


頼豪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 14:55 UTC 版)

平家物語の内容」の記事における「頼豪」の解説

白河天皇皇子生まれたとき、僧頼豪が怨霊になって皇子死んだ挿話

※この「頼豪」の解説は、「平家物語の内容」の解説の一部です。
「頼豪」を含む「平家物語の内容」の記事については、「平家物語の内容」の概要を参照ください。

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