頼近美津子とは? わかりやすく解説

頼近美津子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 13:56 UTC 版)

頼近 美津子(よりちか みつこ、1955年昭和30年〉8月1日 - 2009年平成21年〉5月17日)は、日本の女性アナウンサー[1]。本名、鹿内 キャサリーン 美津子(しかない キャサリーン みつこ[1][2])。旧姓、頼近(よりちか)[3]


注釈

  1. ^ 「週刊サンケイ」1981年2月19日号24頁や「週刊新潮」1981年5月14日号35頁に、頼近や田丸を"美人アナ"と紹介した記事が見られる。1981年から1982年にかけての頼近の記事には"女子アナ"と書かれた記述は見られない。
  2. ^ 泉麻人も「今日にいう女子アナの登場は頼近からではないか」と述べている[13]
  3. ^ 1981年12月18日号が柄本明と、1983年7月19日号が単独で、計2度表紙を飾る。「TVガイド」の表紙は創刊号が高橋圭三だったのを始め、毎年『NHK紅白歌合戦』のシーズンに司会のNHKアナが表紙を飾ったが、それまでは全て男性アナのため、女子アナで表紙に登場したのは頼近が初めて。ただし単独表紙としては1983年6月10日号の宮崎緑の方が少し早い[21]
  4. ^ 小川宏ショー』と専属契約を結んだのは1981年1月27日[24]。『小川宏ショー』は1981年3月30日放送から出演[24]
  5. ^ 当時の週刊誌に「頼近はフジテレビに引き抜かれた」という記事が見られる[25]
  6. ^ この時の移籍金額は文献によりかなり異なる。「週刊ポスト」2012年1月1・6日号などの記事では1,200万円[8]。「週刊文春」1981年12月24、31日号の記事では推定1,000万円(月給約90万円)[24]。スポニチでは3,000万円[6]
  7. ^ 『小川宏ショー』では「ホステス」という言い方を用いていた[33]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 頼近美津子 | 時事用語事典”. imidas. 集英社 (2009年). 2023年6月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 週刊サンケイ」1981年3月19日号、183頁
  3. ^ a b c NHKアナウンサー史編集委員会 編「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、23頁。ISBN 4-06-203232-5 
  4. ^ お好みアツアツトーク”. 2010年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 会報『アカシア』全国版会報『アカシア』全国版 2009年7月(425)号 p.3– 広島大学附属中・高等学校同窓会「アカシア会」公式サイト
  6. ^ a b c d “asahi.com(朝日新聞社):元祖美人アナ頼近美津子さんが死去”. 朝日新聞. (2009年5月20日、35面). オリジナルの2012年7月21日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/DME0 
    “寿引退”アナは頼近美津子さん、芸能界なら山口百恵さんら アーカイブ 2014年8月8日 - ウェイバックマシン美人女子アナの草分け…頼近美津子さん死去 スポニチ Sponichi Annex アーカイブコピー - ウェイバックマシン女子アナブームのはしり 頼近美津子さん死去 スポニチ Sponichi Annex
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    元祖アイドルアナ頼近美津子さん、食道がんで死去 - 芸能:ZAKZAK アーカイブ 2012年5月23日 - ウェイバックマシン
    齋藤薫の美容自身 Stage2|理想の女性像|i-VoCE アーカイブ 2014年7月28日 - ウェイバックマシン
    サンケイスポーツ、2009年5月20日、21面
    週刊ポスト」2009年6月5日号 小学館、30頁
    女性自身」2009年6月9日号 光文社、50頁
    「週刊ポスト」2012年1月1・6日号、58-61頁
  7. ^ a b c d e f g 幕は降りたのだろうか – マリコ書房 - 林真理子YouTubeチャンネル
  8. ^ a b c d e f g h フジテレビ女子アナ、かつての「最強軍団」はいかに生まれたか日本初の女子アナ 1年で退社し9年後年下男性と心中した(NEWSポストセブン)河野景子、八木亜希子ら80年代フジ女子アナ列伝 - NEWSポストセブン史上最強の女子アナ調査 「最も美しい女子アナ」はカトパンフジテレビの女子アナ 野球選手との結婚が少なくなった理由
  9. ^ a b c d e f 高橋幸春「元祖女子アナ 頼近美津子「53歳食道がん死」の寂寥 (去りゆく昭和--大いなる時代を生きた波瀾万丈の人生の足跡)」『文藝春秋』2009年7月号、文藝春秋、276–283頁。 
  10. ^ a b c d e f プレイバック!FRIDAY 1985年6月21日号 頼近美津子&鹿内春雄”. 2014年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月26日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 指南役のTVコンシェルジュ第23回 「女子アナの歴史」(前編)”. チェリー 永遠のオトナ童貞のための文化系マガジン. トレンダーズ (2017–07–21). 2023年5月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月1日閲覧。
  12. ^ a b c d e f 「週刊ポスト」2012年1月1・6日号、58-61頁 「史上最強の女子アナは誰だ!!」
  13. ^ 『アナウンサーのすべて 女性編』共同通信社1998年、60頁
  14. ^ a b c d 「美人アナウンサー・ライバル戦争 田丸美寿々VS頼近美津子 大学の先輩・後輩、よく似た境遇のふたりが同じテレ簿局で火花を散らす! 軍配は、どちらに?」『週刊平凡』1981年4月2日号、平凡出版、174–177頁。 
  15. ^ 『「家」の履歴書』光人社、2001年
  16. ^ 元職員・関係者の追想録 - 放射線影響研究所Darling 所長時代 - 変化の15年間”. 2015年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月26日閲覧。
  17. ^ 「週刊新潮」1981年4月30日号、131頁
  18. ^ a b c d 「フジテレビの女子アナの目立ちたがり戦争花盛り 再び野球拳で脱いだ田丸、連日ゲームセンター通いの頼近、フジの看板娘山村、益田……。人気女子アナの奮闘ぶりは?」『週刊宝石』1982年10月29日号、光文社、214–217頁。 
  19. ^ 追悼・元祖女子アナ頼近美津子「テレビファ」配信-NHKオンデマンドクイズ・バラエティー ばらえてぃ「テレビファソラシド」
  20. ^ テレビファソラシド - NHKオンラインアーカイブ 2015年4月2日 - ウェイバックマシン
  21. ^ 『表紙で振り返るTVガイド50年』、東京ニュース通信社
  22. ^ 平賀拓史 (2023年5月24日). “第3回 山根基世、アナウンサー人生最大の試練 「働く女」の代表なのに”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2023年5月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230524023450/https://www.asahi.com/articles/ASR5K45DFR3NUCVL028.html 2023年6月1日閲覧。 
  23. ^ サンデー毎日」1981年6月14日号、145頁
  24. ^ a b c d 「週刊文春」1981年12月24、31日号、159-160頁
  25. ^ 「週刊サンケイ」1981年2月19日号24頁、「週刊朝日」1981年4月17日号37頁
  26. ^ 週刊新潮」、1982年8月26日号、82頁
  27. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年、508頁
  28. ^ a b c 「週刊サンケイ」1981年2月19日号、24-26頁
  29. ^ 佐藤孝吉『僕がテレビ屋サトーです-名物ディレクター奮戦記』文藝春秋、2004年、312-317頁
  30. ^ 週刊朝日」1981年8月24日号、43頁
  31. ^ “頼近美津子さん死去!食道がん闘病2年…早すぎる53歳”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年5月20日). オリジナルの2009年5月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090522014012/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090520-OHT1T00006.htm 2009年12月2日閲覧。 
  32. ^ 「週刊朝日」1982年12月25日号、40頁
  33. ^ 「週刊朝日」1982年2月13日号35頁、5月21日号121頁
  34. ^ 週刊朝日」1982年5月21日号、120-122頁
  35. ^ a b c 「週刊文春」1981年8月2日号、19頁
  36. ^ a b 「第2の田丸・頼近を目指すテレビ局の"新人美女"を全角度品さだめ! ブラウン管に登場するフレッシュギャルを誌上紹介」『週刊宝石』1982年4月17日号、光文社、200–203頁。 
  37. ^ 喜怒哀楽のサラリーマン時代 露木茂さん<5>日航機墜落事故後に現場ひと筋と腹くくった アーカイブ 2023年6月1日 - ウェイバックマシン
  38. ^ a b 中川一徳『メディアの支配者(下)』、講談社、2005年、171-179頁
  39. ^ AERA」2009年6月1日号 朝日新聞出版、74頁
  40. ^ “元NHKアナウンサー・頼近美津子さん、食道がんで死去”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年5月19日). オリジナルの2009年5月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090522103529/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20090519-OYT1T00690.htm 2009年5月19日閲覧。 
  41. ^ NHKアナウンサー史編集委員会 編「第六章 キャスター、リポーター時代 キャスターの時代」『アナウンサーたちの70年』講談社、1992年12月21日、346頁。ISBN 4-06-203232-5 
  42. ^ WORKS 実績紹介 - 知的好奇心をくすぐる広告代理店 ビデオプロモーション”. 2012年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月1日閲覧。
  43. ^ 頼近美津子 - オリコンTV出演情報


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