デビューから2000年まで
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「リチャード・クレイダーマン」の記事における「デビューから2000年まで」の解説
クレイダーマンのデビューシングルは、フランスではそれほど注目されなかったが、その後、西ドイツのテレビドラマの主題曲に使われたことにより全西独シングル・ヒット・チャートの第1位に輝き、これを契機にスペインなど周辺の国々でもヒットし、逆輸入の形でフランスでもヒットした。 この話を聞き、当時のビクター音楽産業がデルファン社とクレイダーマンに関する日本での独占販売契約を締結した(これは現在でも続いている)。1978年、日本で初めて彼のレコードが発売されると、すぐに評判になった。1980年には日本で初のコンサートを開き、「ニュー・イージーリスニング・ミュージック」として注目されるようになった。初訪日以来、毎年日本でコンサートを行うほか、全世界通して年300日はコンサートをしている。 現在の日本で、クレイダーマンの楽曲として最もよく知られている曲といえば、デビュー曲『渚のアデリーヌ』であるが、日本でその名を初めて広めたのは、1981年のシーボン化粧品の広告で流れた『愛のコンチェルト』であり、この広告は当時頻繁に流れ、たとえ曲のタイトルを知らなくても曲を聴けば「あの化粧品の曲だ」とわかるほどであった。1982年には『星のセレナーデ』に岸田智史と下田逸郎が歌詞をのせ、「潮風のセレナード」のタイトルで岸田がカヴァーした。 オリジナル曲は、センヌヴィルやプロデューサーのトゥッサン作曲のものが多い。 他のアーティストとの共演も行っており、アルバムではロイヤルフィルハーモニー管弦楽団(『ピアノ・ラプソディ』 1985年)、ジェームス・ラスト・オーケストラ(『木漏れ日の詩』 1991年)、レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ(『郷愁の詩』 1995年4月21日)との共演盤がある。 1998年にテレビ番組『趣味悠々』にて『リチャード・クレイダーマンのピアノレッスン』と題し、司会・案内役に頼近美津子を迎え、毎回ピアニストを目指す生徒と共に、クレイダーマンが講師となって音楽やピアノのレッスンを行う内容の番組が放送された。
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