夫との死別後
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夫との死別後、アリスは両親と近いシドニーへ引っ越した。その後グリーフ(死別の悲嘆)からの回復のためか、世界を飛び回っているヘレン・ケラーとの出会いに新しい可能性をみつけたのか、切実な人との結びつきが切れて生来の好奇心や冒険心が現出したのか、アリスは海を越えたニュージーランドを含め、あちこち旅行するようになった。 1955年、オーストラリア史上最悪の自然災害のひとつといわれる大洪水がニューサウスウェールズ州を襲い、ハンターバレー地域全体が水没した。交通網は水没によって麻痺し、特に、氾濫したハンター河のあるメイトランド(en:Maitland)では数千人が孤立し、24人が犠牲になった。旅の途上にあったアリスは、洪水に襲われたメイトランド駅にいた。町全体が水没して孤立してしまった駅の中で、アリスは4日間救出を待ち続けることになった。 1966年、アリスは、シドニー郊外のウラーラ(Woollahra)にある王立盲人協会(Royal Blind Society、現en:Vision Australia)設立(1949年)のヘレン・ケラー・ホステル(Helen Keller Hostel) へ移った。アリスはこのヘレン・ケラー・ホステルで癌のため65歳で永眠した。
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夫との死別後
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フジテレビは春雄の後継問題と社内抗争で揺れ、美津子は1990年、2人の息子とともに渡米した。頼近はワシントンD.C.に居住し、スミソニアン博物館でボランティアとして働いた。 春雄は豪邸の他、フジテレビの親会社にあたるニッポン放送株を大量に所有しており、実質的にはその株のほとんどを未亡人である頼近が相続することになり、フジテレビは美津子の支配下に置かれかねない状況となっていた。これに慌てた春雄の父・鹿内信隆はなりふり構わずニッポン放送株を取り戻そうとして、美津子が相続した時価にすれば100億円は下らないニッポン放送株は鹿内家に6,600万で買い戻された。 1993年、古巣のNHKでテレビ復帰。1996年には、NHK大河ドラマ『秀吉』に出演。同年12年ぶりにフジテレビ『来日直前!三大テノール』の司会者として復帰。コンサートプランナーやクラシックコンサートの企画構成、ナレーションなどを行いながら、日本音楽財団や日本音楽作家協会理事などを務め幅広く活動した。「コンサートプランナー」という肩書きは、頼近が使ってから知られるようになったもの。 2004年(平成16年)、大田区田園調布の豪邸を売却して世田谷区野毛のマンションに移る。 2007年に食道がんと診断され、翌年9月、通院のため千葉県流山市のマンションに転居した。癌治療を受け続けたものの、2009年5月17日午後1時46分、千葉県柏市の病院にて53歳で死去。直接の死因は心不全であった。
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