夫とのいさかい、離婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 06:11 UTC 版)
「モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス」の記事における「夫とのいさかい、離婚」の解説
1669年に突然何の前触れもなく、フランソワーズの夫モンテスパン侯爵が妻に会いたい一心でルーヴル宮殿を訪れた。しかし、久しぶりに会った妻がよそよそしく、冷ややかな態度を取ったことにモンテスパン侯爵は深く失望し、落胆した。 この年の夏に、モリエールの傑作『ジョルジュ・ダンダン』の劇が宮廷で上演された。この劇は別名『やり込められた亭主』と言い、成り上がりの百姓のジョルジュ・ダンダンが貴族の娘を妻に迎え、さんざん彼女の浮気に悩まされるという内容である。当時の風潮を風刺していたため、観客達は大笑いして楽しんだ。そんな中、他の観客達よりもひときわ劇に見入り、大笑いしていたのがモンテスパン侯爵だった。そんな侯爵の様子に、事情を知っている他の観客達は失笑を禁じえなかった。 その後、見かねたモンテスパン侯爵の友人が、王とフランソワーズの関係を彼に知らせた。自分が妻を寝取られた夫として、笑い者にされていた事を知った侯爵は激怒した。自分の言う事をフランソワーズが聞かない事もあり、怒った侯爵は何度も妻をなぐり続けた。しかし、フランソワーズは夫に対して弁解も謝罪もしようとはせず、ただ黙って暴力に耐え、冷笑しながら見つめるだけだった。そんな妻の態度にますますモンテスパン侯爵は深く傷つき、さらに妻と王に対する怒りが激しくなっていった。侯爵は他の貴族達のようには、このような夫婦間の不貞を、見てみぬふりをしてやり過ごす事ができなかった。 やがてモンテスパン侯爵は「妻の貞操に対する喪」と称し、喪服で宮廷に現われるなど、公然とルイ14世を非難するようになった。彼は王の怒りを買い、投獄された後にパリを追放され、自分の領地に戻された。さらにこの年のうちに、王はパリ高等法院に命令すると、フランソワーズの離婚請求を強引に認めさせてしまった。モンテスパン侯爵には、妻との離婚費用として10万エキュの大金が下賜された。
※この「夫とのいさかい、離婚」の解説は、「モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス」の解説の一部です。
「夫とのいさかい、離婚」を含む「モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス」の記事については、「モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス」の概要を参照ください。
- 夫とのいさかい、離婚のページへのリンク